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山口のソウルフーズがANAの機内誌へ掲載~「瓦そば」と「ばりそば」がフィーバーするの?~

ANAグループの機内誌「翼の大国」を何となく眺めていたら、「山口・ヌードル紀行」で川棚温泉(下関市)発祥の「瓦そば」と山口市発祥の「ばりそば」が特集されていた。

この機内誌は持ち帰り自由なのですが、一応CA(キャビンア・テンダント)の方に持ち帰る旨を伝えたところ「真っさら」のものをいただきました。

その特集は、「瓦そば」については6ページ建て、「ばりそば」については4ページ建てで特集されていました。文章も写真も流石にプロだと言われるほどのできでした。

「瓦そば」については、「元祖瓦そばたかせ」で取材をしていました。そのサブタイトルからしてスゴイ!『瓦の上に「驚き」が重なる』これだけで注目をひきます。さすがプロのライター?そしていよいよ本文に入ります。

『「瓦そば」は、山口県下関市西部の山間に位置するひなびた温泉地・川棚温泉に咲いた大輪の花のような麺料理だ。黒々した原寸大の(要するに本物の)瓦の上には緑の茶そば。その上に錦糸卵、さらに牛肉、小ねぎ、海苔が載っていて、そのまた上にはレモンの輪切りともみじおろしが鎮座している。どこかの国の国旗かと思うくらい、鮮やかで決定的にバランスよいカラーコーディネートだ。~中略~さて、いただきます。むむっ、瓦の上で油で焼かれた茶そばが香ばしい。それを具材と一緒にとって、かつおと昆布のつゆにつけて食べると……~』近すぎて遠い「元祖瓦そばたかせ」には、2度行ったきりです。近々3度目の挑戦ということにしましょうか。

文才のない小生にとってこのライターの文章はあこがれです。いつかは、こんな文章を書きたいと思いますが、文章表現の上手さは「読書量」に比例すると言われていますが、最近は仕事だけでなく他の趣味などでやることが多すぎて、読書からかなり遠ざかっています。過日、皇后・美智子さまが「読みたい」とおっしゃった探偵小説が話題になっていますが、近い将来私も以前のように推理小説などを存分に読みたいと思っています。余談になりますが、私の夜の楽しみであるテレビ朝日系の「報道ステーション」に最近登場することになった竹内由恵アナウンサー(元ミス慶応でアナウンサーデビューしてからの大ファンです)が、昔、むさぼるように読んでいた経済小説家清水一行先生のお孫さんだと最近知り驚きました。

ところで山口県、特に下関市はさまざまな観光資源に恵まれ、しかも安倍首相のお膝元にも関わらず、人口の減少に歯止めがかかりません。「地方創生」が大きな課題の一つと首相も主張されています。海外に出張されて日本製品の売り込みにはご熱心ですが、足元の下関を「地方創生」のモデルケースとなるように腐心されてはどうかと念じております。もしかして、「観光資源」がありすぎてハングリー精神が希薄になっているのではないかと危惧しています。

山口市の『春来軒』の「ばりそば」の方はA4二枚を使って実物大の写真が「ドカッ」と掲載されています。私も趣味の一つの山登りで写真は撮りますが、重たいので一眼レフではなくミラーレスのカメラです。構図のセンスはさておき、シャッタースピード、露出、逆光処理などもすべて「オート」にしています。

中学生のころ勉強はそっちのけで、九州や山陰などにSLの追っかけをしていた頃は、一眼レフのかなり相当高級なカメラ(もちろんアナログで、もっぱらモノクロで撮影をしていました。)を今は亡き父にせがんで買ってもらいました。中学校の暗室を使って自分で現像もしていましたので、それなりの写真に対する知識もありました。しかし、最近はあまりのカメラ本体の性能の良さにすがって「撮りたいモード」だけ選択しておけば、風景だけでなく朝焼け、野草や花などそれなりの写真が撮れます。この半世紀でカメラの進化はアナログからデジタルになったことも含めてスゴイものがあります。

さて、商業写真といいながら、プロの写真家の腕と発想力はスゴイ!です。「もち屋は、もち屋」という言い方をしますが、実物大(1.5人前)の「ばりそば」をど迫力でよくぞそんな大胆な写真を撮ったものだとつくづく関心をしました。

「ばりそば」も何軒もありますが、それぞれの店で微妙に味が違います。とりあえず、高速道路のサービスエリアにある店を除いて全部食べてみましたが、個人的には山口市大内と言うところにある店の味がお気に入りです。ただ、自宅から「あまりにも近くて遠い」小郡店には2回しか行っていません。歩いて10分以内、車なら3分程度で行ける店にもっと顔を出さないと行けないとこの記事を読んで思いました。

世の中、「ソウルフーズ」だとか「B級グルメ」とかという言葉が流行っていますが、「うどん県」と県名を代えようか物議を醸した「讃岐うどん」と行ったら香川県と言うふうに、日本国中、誰でも知っているようなメジャーなものとして「瓦そば」や「ばりそば」を育てていかないと行けないと思っています。

山口県人は「おしとやか」な風土があるのかもしれませんが、「明治維新の立役者」で日本を現在のように先進国した心意気を再び持つことが問われていると思います。

今年、最初で最後の北アルプス~あこがれの雲ノ平縦走~

2017年10月14日、台風の影響で3度目の挑戦で日本100名山の最後の山「蔵王山1841㍍」に登ってから、登山に対するモチベーションが下がったのか、その後、里山も含めて明らかに登山の回数が減りました。

年初に立てた目標は、登った日本100名山で「雨などで景色を満喫できなかったところ」に行くことでした。ハイシーズンの7月~9月にかけて、計画していた「白馬の大雪渓」への挑戦(一昨年登ったときは10月上旬で大雪渓は通行止めでした)は、約束していた同行者が腰を痛めて諦めました。また、以前の登ったときは雨でまったく眺望を見ることができなかった「蓼科山」「霧ヶ峰」「美ヶ原」も台風の影響でキャンセルしました。

「雲ノ平」と言えば北アルプスの最深部にあり、眺めるたびにいつかは行ってみたいけど「日本100名山」をめざす人は、そちらが優先になります。私もいつかはとあこがれていた山です。

当初の計画では、税理士仲間4人(男女それぞれ2名)でしたが、1週間前に一人がお子様にアクシデントがありリタイア、前日には本人が風邪と下痢のためリタイア、結局私と私の「日本100名山」達成するために大変尽力をしてもらった、私よりちょっとだけお姉さんで山登りにかけては知識も技術も体力も凌駕されている女性税理士(以下師匠と呼びます)と2人での山行となりました。

以前は「晴れ男」と言われていましたが、最近は「雨男」とか「嵐を呼ぶ男」とか言われているのが今回の山行でも現実になりました。「週間天気予報」通り前日から雨模様で、師匠もご主人(師匠の話では、今でも岩登りや沢登りなどを休みのたびに楽しみ、そのための体力を付けるために毎日の通勤は徒歩で1時間半かけるという山登りの神様のような方だそうです)から「今回は天気も相当悪いし、やめた方が良いんじゃない」と言われたそうですが、師匠は私が既に前泊して富山にいましたので、朝一番の新幹線で富山に駆けつけてくれました。

一方、私は師匠と落ち合う前日の9月2日午後3時前の新幹線で新大阪まで行き、特急サンダーバードに乗り換えて金沢へ、その後高速バスで富山に入りました。富山駅前のホテルには夜の8時半過ぎに到着し、ゆっくり体を休めました。

翌日21日の朝10時前に富山駅で師匠と待ち合わせた頃は曇り空でしたが、電車からバスを乗り継いだ頃から、天気予報がズバリ的中して雨模様になりました。折立の登山口では雨具を完全装備して、12時過ぎから歩き出しました。テレビで見たことのある有名な山岳ガイドが団体客を引き連れわれわれの後からついてきました。辺り一面はすっかりガス模様で、われわれが休憩する度に団体さんが追いついてきて、それを機にわれわれが再び歩くと言うことを3回繰り返し、16時半に山小屋1泊目の太郎平小屋(何度も泊まっている馴染みの山小屋)に着きました。

雨の予報と既に登山のハイシーズンの終わりかけの頃なので余り登山客が多くなく、4人部屋に2人という快適な場所を確保できました。因みにハイシーズンの頃の北アルプスの山小屋では、1枚の布団に2人が寝ることも珍しくはありません。そんな時は、山では何泊も着替えをしないことは珍しくなく、その汗の臭い、疲れからくると思われるいびきなどで神経質な人は一睡もできないという人もいます。

また、この日の夜中は、風雨がひどく次の日の天気を気にしながら、師匠と山登りのための体力増強法やストレッチの方法などもしましたが、いつの間にかいつものように税理士業界やそれぞれの事務所の運営や業務上の悩みなどの情報交換が会話のほとんどを占めました。もちろん、歩行中でも急登や危険な場所以外での会話も同じような仕事の情報交換の会話に終始しました。師匠は、その荒れた天気のせいかもしれませんでしたが、あまりよく寝られなかったそうです。

二日目も朝からかなりの雨模様でしたが、ゆっくりとしかし確実に師匠の後についてひたすら歩を進めました。特に薬師沢小屋からの登りが大変でした。急なはしご、雨のため滝の裏を渡るかのような吊り橋、そして岩ごろごろの急坂、しかも登山道は沢のように水が流れジャブジャブの状態がかなりの時間続きました。それでも11時頃に急坂を登り終え、雲ノ平の端っこに飛び出したときには雨も嘘のように止み、ピーカンの青空になりました。

私のすぐ後をついてきた山ガールと会話が弾みました。薬師岳や黒部五郎岳の山容が堂々たる顔を見せましたが、彼女はハイスペックの一眼レフをザックに入れていて「良い写真が撮れそうです」と大はしゃぎでした。

雲ノ平山荘に着くまでは心の弾む木道歩きでした。13時に雲ノ平小屋に到着しましたが、ここで大きなトラブル発生しました。日頃は余り使っていなかったザックカバー(リュックザックに入れてある衣類などの中身に雨水が浸透しないようにザック全体を覆う防水カバー)のバックル(留め具)が破損しており、そのためにザックの中がかなり湿ってしまいました。

中に入れていた手帳や財布まで湿っていました。ザックに収納していたすべての中身を天日干ししました。お天道様の力はたいしたものでザックの中身だけではなく、ぬれていた登山靴やソックス、カッパなどはすぐ乾きました。しかし手帳だけ手の施しようもなく下山後ドライヤーで1ページごとに乾かしました。

登山者からからかわれたのは、財布の中のお札を乾かしていたことでした。山小屋ではクレジットカードが使えないので、福沢諭吉や野口英世を何枚も乾かしていたら、「見張り番をしようか」と何人にも声をかけられました。

下山後で、その破損の原因を見つけてもらおうとその製品のメーカーであるモンベルに現品を送付しましたが、自分では比較的新しいものだと思っていたら、10年以上前に購入していた製品であり、ずっと使わずにパックの中にカバーを押し込んでいたので、経年劣化が激しくなったのが破損の原因だと担当者から詳しいメールをもらいました。

それは、カッパやスパッツ(足首と靴との間に砂や小石が入るのを防止する覆い)も同じで、その担当者のアドバイスでは、使用しないときはパック中に入れない方が経年劣化の進行が遅くなるとのことでした。そのアドバイスを受けて、パックに入れていたものはすべて出して、衣類ケースに収納することにしました。

さて、雲ノ平山荘は、2010年に新築されたとても綺麗な山小屋で収容人員は70人の小屋でした。夕食は、山小屋で初めて体験した「石狩鍋」のごちそうでした。19時から小屋主の話がとても面白く、この小屋ができた経緯や苦労話を聞いて山小屋が果たすべき役割と国立公園なのに僅かな補助金(僅か10億円だそうです)で登山道の整備も委ねている政府の予算の使い方を変えるべきだと思いました。イージス・アショアに使う予算(6000億円が必要だと報道されています)を使わなければ、北アルプスのなど国立公園などの整備をきちっとでき、外国人登山客も増え、国も結果として潤うのではないでしょうか。

三日目からは、昨日までがウソのような快晴となりました。まさに「天空の楽園」と言われる雲ノ平を出発しました。標高2,500㍍位から3,000㍍の光景は今まで何度も通った北アルプスでも最高の景色でした。北アルプスの象徴である槍ヶ岳をずっと眺めながらの尾根歩きはこれまでで味わったことのない最高のものでした。

今まで幾度か泊まったことのある三俣山荘、双六小屋を経て、宿泊予定の鏡平小屋に着きました。実は、この小屋には初めて泊まりましたが、鏡平には、池塘(「ちとう」と読み、高層湿原に点在する小池と言う意味です)が点在し、その一番広い鏡池には、木製のテラスがあり、東正面に見える槍ヶ岳の絶好の展望台となっています。そこで、山小屋で購入した本格的なコーヒーをすすりながら、その雄大な景色に圧倒されました。

「逆さ富士」は有名ですが、ここでは「逆さ槍」が眺められます。雄大な槍・穂高連峰は、長く眺めても飽きません。この山小屋での夕食は4時半からでした。それは、夕映えで赤く染まる穂高連峰が現れたときは一斉に宿泊者が食事の手を止めて、外に出てしまうから、早い時間に食事を提供することになっているそうです。この日は、その風景は残念ながら見られませんでしたが、「逆さ槍」は何とかカメラに納めることができました。

最終日は、緩やかな下りをゆっくりおりました。おそらく軽四で運んだ思われる一個100円の冷え冷えのトマトを食し大満足でした。下山予定地の新穂高温泉には10時に着きました。そこで久しぶりに風呂に入り、前泊を含め4泊の山旅を振り返りました。バスの時間が、オフシーズンなので便が少なく、その待ち時間に手打ちそばに舌鼓を打ちました。

新穂高温泉からのバスは、ほとんど登山客でいっぱいでした。平湯温泉でまた1時間の待ち時間がありました。平湯温泉は、岐阜県高山市にある乗鞍や上高地の中継地で、大きなバスターミナルになっています。そこで、NHKの朝の連続TVドラマ「半分、青い。」で有名になった五平餅を食しました。「あと5個で完売ですよ」と言う焼き手の青年の声についつい買ってしまいました。青年曰く、「最近はすっかり有名になっていつも完売ですよ」と思わず笑みを漏らしていました。

松本行きのバスに乗れない人が続出してすぐに次の臨時便が出ましたが、われわれはザックを乗り場においてゆっくりしていましたので、先頭から二組目で幸いにも良い席に乗ることができました。しかし、三連休の最後の日の午後と言うこともあって松本行きの道路は渋滞していました。

松本駅で「特急あずさ」に乗り帰路につく予定でしたが、この列車は松本駅始発ではなく白馬駅始発だったので、松本駅では「既に自由席は、ほぼいっぱいです。30分後に臨時便を出しますので自由席の方はそちらの電車もご利用ください」という放送が流れました。その放送が流れても列から離れる人は少なく長蛇の列でした。なるべく早く帰りたかったのでこのあずさに乗りましたが、まさかと思いきや本当に自由席が満席状態でした。デッキでずっと立ちっぱなしかと諦めていましたがさすがは、師匠、次の塩尻駅でおりそうな人をリサーチしていました。僅か10分で座ることができました。

うらやましいと思ったのは、首都圏に住んでいる人は日和を見ながらアルプスなどに行けるのと、日帰りでかなりの日本100名山が登れると言うことです。反対に、人がやたらと多く電車は座れないのが当たり前、週末のラッシュ時の高速道路は30㌔くらいの大渋滞は当たり前の世界です。

中国地方にある日本100名山は、鳥取県の大山だけですが、山口から大山の登山口までは車で約6時間はかかります。東京からだと、飛行機で米子空港まで僅か1時間でいけます。やはり、東京一極集中は登山の世界でもあるのですね。「地方創生」という課題をどうするかも考えた山旅でした。

あなたは健康管理をしていますか?~健康に関する語呂合わせ~

私の世代より少し上の「団塊の世代」の人なら絶対に忘れはしない楽曲でフォークシンガーの草分けの一人「高石ともや」さんの大ヒットソングで「受験生ブルース」があります。

その歌詞の一説に「一夜一夜のひとみごろ」がありますが、それは√2(1.41421356)の語呂合わせです。また「富士山麓オームなく」同じく√5(2.2360679)の語呂合わせです。この語呂合わせで、受験生の悲哀を「高石ともや」風に愉快に歌っていました。

早熟だった私は中・高校生のころ「勉強するのに必要だから」と母親にソニーのラジオで当時の最ヒット商品「スカイセンサー5800(累計100万台以上も販売されていたという最新式)」をせびり、とうとう2万円以上もするラジオを買ってもらいました。ところが、深夜放送の「受験講座」ではなく「オールナイト日本」をひたすら聴いていて「高石ともや」さんの存在とこの楽曲を知りました。

その私も、綾小路きみまろ風に言えば「あれから何年?」ついに「ラジオ深夜便」を聴くような世代になりました。

私はいくつかの持病があり「調剤薬局」に先日行ってきました。そこでもらった薬袋の中には「Life5月号」という小冊子が入っており、【保存版】減塩生活の「さ・し・す・せ・そ」と書いてありました。

語呂合わせで表現されたものでその意味は、

さ……砂糖も一緒に減らそう

し……塩(ナトリウム)の表示に気を付けて

す……酢・香辛料・香味野菜で味にアクセント

せ……醤油もソースも使い方次第

そ……味噌汁は具だくさんで

となっていました。なるほど語呂合わせで覚えることによって「物忘れのひどい世代」でも分かるように工夫されています。因みに、国が推奨する1日の塩分摂取量は、健康な男性で8.0㌘未満、女性で7.0㌘未満であるのに対して、実際の塩分摂取量は、男性10.8㌘、女性9.2㌘と過剰摂取になっており、それが高血圧、脳卒中、胃がんのリスクを高めると書いてありました。

他にもネットで検索すると「語呂合わせ食事法・健康法」がいろいろありました。二つほど紹介すると一つは奥薗壽子さんという有名な料理研究家が「奥薗流・まごわやさしい健康料理」という書籍などに載っているものです。その語呂合わせは、

ま……豆(納豆、小豆、黒豆、グリーンピース油揚げなど)

ご……ごま(ごま、クルミ、栗、ぎんなん、松の実など)

わ……わかめ(わかめ、ひじき、のり、昆布、もづくなど)

や……野菜(緑黄色野菜、淡色野菜、根菜など)

さ……魚(鯵、鰯、アサリ、鯖、鮭、マグロ、エビ、かき、タコ、シジミなど)

し……椎茸(マイタケ、エノキ、なめこなど)

い……芋(サツマイモ、ジャガイモ、こんにゃくなど)

確かに体に良さそうで、ダイエット効果もありそうなものです。

もう一つの語呂合わせは、おさかなすきやね(お魚好きやね)「血液さらさら防止法」というサイトに載っていましたので紹介します。

お……お茶

さ……魚

か……海藻

な……納豆

す……酢

き……キノコ

や……野菜

ね……ネギ・玉ネギ

いずれの「健康食材」もほぼ共通しています。要するに、日頃から暴飲・暴食にならないよう心がけ、減塩食になるような調理の工夫をし、体に良さそうなものを意識して食べれば、慢性疾患や肥満の予防にもつながるというわけです。皆さんもこの際、思い切って自分の食生活を見直してみませんか。個人的には、それと併せて昔から言う「腹八分目」を意識することも大切な事だと思います。

私と剣道~私が還暦を過ぎて剣道三段に挑戦する訳~

私は、還暦を迎えるまでに「日本100名山」を達成する目標を立てました。昨年の還暦までには達成できませんでしたが、最後の1座目(山形県蔵王山)を台風の影響で3回目のチャレンジで昨年10月14日に見事に目標を達成しました。

還暦が過ぎたら趣味をもう少し多彩にするためと、悔いを残していたことに再挑戦すること、それが剣道三段の取得でした。

その悔いというのは、当時、高校で一緒に入部していた剣道部の同級生が高校三年生の時に三段を取得し、私だけが三段を取得できなかったことです。

実は私は、高校二年生のときの学業の成績が余りにも悪いので、剣道部の顧問の先生(定年退職前でしたが、八段というもの凄い腕前で練習でもまったく歯が立ちませんでした。)が、私のことを「忖度」してか、三年に進級する直前に私をわざわざ教員室に呼んで「剣道部の推薦枠で大学に入れてやるから進路のことは心配するな。」と話をしてくれました。その指定校をみせてもらうと、剣道の強豪校で、仮にそこに進学するとおそらく、練習にもついていけないし、退部することもできないし、仮に無事卒業できても就職先も限られてしまうと直感的に「これはまずい。」と思いました。

なぜまずいと思ったのか、それは私が、剣道部の中でピカイチ強いわけでもなく、団体戦(先方、次鋒、中堅、副将、大将の5人で構成されます。)の選抜に入るか入らないのかのいわば「準レギュラー」だったからです。

そこで考えたのは、顧問の先生に、「必死で勉強してそれなり?の大学に入るので退部させてください。」とお願いすることでした。

先生に、私の思いを聞いてくれるよう懇願し、なんとか退部を許していただきました。しかし本当の理由は、私には剣道部の才能はないばかりか、練習もかなりしんどく、いつかの時点で退部したいとずっと考えていたのです。

退部後、遅れていた進学の勉強は適当にやっていました。ところが、私が退部する許可をもらった際に先生が「その代わり、必死で勉強して希望する大学に入れよ。それが条件だ。」と言っていたとおり、私の学内の模擬試験をずっとチェックしていたのです。それを知ってから私は心を入れ替え「必死」で猛勉強しました。

その甲斐あって、他の部員が三段を取り夏休みをもって退部した時点では、二年生の模擬試験ではビリから2番だった成績が、みんなもびっくりする前から2番になっていました。その当時の母校は、模擬試験の成績を掲示板に貼りだしていました。しかしそれで安心をしたのか、その後は「再び元の勉強しない生来の怠惰な自分」になっていました。

最終的には、母校では「そこそこ」と言われる大学には合格はしましたが、その大学が東京の「とある大学」だったので、私の日頃の素行を一番知っている両親は「某地方大学」の入学しか認めてくれませんでした。

現在、祝祭日ではない月曜日の夜7時半から少年剣士といっしょに、準備運動、竹刀の素振り約500回、タイヤを使った練習などを30分強ほど行っていますが、そこでほぼ体が動かなくなります。気合いを入れ直し、水分を補給したのち面を付けます。

大人の剣士(参加者は余り多くなく皆さん五段以上と聞きました。)は、その後に登場し、面打ちや切り返しなどをしますが、夜9時前にはぶっ倒れそうになり、途中で稽古をやめてしまう始末です。持参するスポーツドリンクが一本ではとても足りません。

指導者に聞くと、すべての時間練習をこなせる体力と気力ができれば「三段」も近いとのことです。ほとんど毎朝300回の素振りをしてから出勤していますが、まだまだその日は近くないと感じています。還暦から43年ぶりに再会した剣道ですが、意地でも「三段」に挑戦をする覚悟でいます。

アレックス小倉さんの恋愛学講座を聞いて~恋愛にも、男と女の違いにも則性がある~

小学校・中学校の同級生でもあり、顧問先さんでもある方から、あるセミナーに参加してもらいたいとお願いされました。そのセミナーの様子をまとめてみました。

驚いたことが、ワインを飲みながら講演をされるということと、その中身が私の堅い仕事?とは無縁の「恋愛や男女間の思考の違い」でした。

講師のアレックス小倉さんのプロフィールをHPから簡単に抜粋して紹介します。昭和35年5月19日生まれ。出身地: 岡山県倉敷市。

娯楽の少なかった昭和40年代に幼少期をすごし、小学時代は父親に時折連れていかれた映画館が唯一の楽しみだった。中でも「シェーン」「駅馬車」「007シリーズ」等洋画のアクション映画に心をときめかした。中学一年生の時にたまたま当選した映画の試写会「ジャッカルの日」に感銘をうけ、それ以来狂ったように映画を見始める。

高校時代に映写技師のバイトを始め、様々な映画館に顔パスで入れるようになり、高校2年の時「一年間で映画363本を映画館で見る」という偉業を達成。さらには、高校3年の夏に処女監督作8mm映画「七月の風」を撮り、高校の文化祭で上映。見るよりつくる映画の楽しさを知り、日大芸術学部映画学科監督コースに進学(船越英一郎と同級生とのこと)。自主映画製作に没頭。製作資金の為に数々のバイトを経験し、最終的に一番収入の多かった銀座のクラブでのボーイに落ち着く。~映画を作るために東京に出て来たのにこのまま水商売の人生でいいのか?」と映画界への復帰を望んでいた時、「香港での新規立ち上げ店の責任者として3年働けば、帰国後は映画製作会社に入社を確約」という幸運な話が舞い込み即決。27歳で高級カラオケクラブと大型ディスコの責任者として香港に渡り、バブル全盛期に夢のような海外生活を経験する。

30歳で帰国後、映像制作会社で、映画・Vシネマを数々製作。愛と性をテーマに数多くの作品に脚本/監督/プロデューサーとして関わる。Vシネマの作品作りの参考にと始めた「恋愛心理学」「動物行動学」「生物学」「脳科学」等の勉強に没頭し、自らの幾多の恋愛経験と照らしあわせ、独自の『恋愛学』(「愛主体の相対性異論」「ピタリ5デスの定理」「フレーミングの両手の法則」等)を確立。2007年より全国で『恋愛セミナー』を開始。2008年秋に『新恋愛セミナー』として、再始動。2009年9月で全国30都市以上、累計100回の恋愛セミナーを達成。また企業研修も開始。2009年10月より内容を一新した「恋愛学講座」を実施。2012年末で累計300回達成。

現在は「恋愛学講座」の全国行脚と共に「2032年に高校教育に授業科目として『恋愛学』を!」というビジョンのもと、その前哨戦として「ラブセービング協会」を設立し、全国に「ラブセーバー」を育成する活動にも尽力を注いでいる。

カウンセラー資格:
・日本メンタルヘルス協会:研究コース東京20期・心理カウンセラー

主な企業講演&研修講演:
・愛知中小企業家同友会知多青年同友会
・ライフパーク倉敷(倉敷市教育委員会主催講演会)
・山口県商工会議所青年部連合会「第26回会員大会徳山大会」記念講演
・山口県柳井商工会議所
・キリンビール株式会社など

アレックスの著書

『「一生に一度の本当の恋」を叶える9つのカギ』
アレックス小倉[著]
(学研パブリッシング/定価1300円)
全国の書店にて、好評発売中!

「愛主体(あいしゅたい)の相対性理論」

その講演の要約を図や算式にして紹介をします。共感できる部分がたくさんありました。もし講演の依頼や恋愛相談があれば、カウンセリングもやっておられるようなので、「アレックス小倉」とネットで検索すればホームページがあります。

男も女も
恋も愛も
喜びも悲しみも
 
相対的である

E=mc²

Energy = E = emotion
エネルギー       感情

Mass = M = manner
質量       態度・ふるまい

Celeritas = C = character
光の速度        性格・人格

 

男脳・女脳の差異

・DNA(XX、XY)
・ホルモン(テストステトン、コスロケン)
・脳りょうの太さの差異

左脳 右脳
・論理的思考
・言語認識
・推論・分析
・計算
・空間認識
・イメージ
・発想・創造
・芸術
考える力 感じる力
理性(理論) 感性(直感)
男は左脳か右脳かどちらかしか働かせない

 

ミラー法則

+があれば△がある
北があれば南がある
縦があれば横がある
 
相対性がセットになっている

甘いものを知っているから、辛いものがわかる

 

男脳のキーワード

  1. シングル(集中)
  2. 論理的
  3. 問題解決思考
  4. プライド優先
  5. 鈍感
  6. 競争力
  7. 公平な愛が理想(母性愛を学んでいる)
女脳のキーワード

  1. マルチ(分散)
  2. 感情的
  3. 共鳴共感志向
  4. 安心優先
  5. 敏感
  6. 共生心
  7. 無条件の愛が理想(母性がある)

 

男脳 女脳
会話 意見交換 感情交流
論理優先 気持優先
結論重視 プロセス重視
アドバイスしない ただ聞いてほしい
誉めてほしい わかって(認識)ほしい
自慢話 気晴らし会話
断定表現でも曖昧 曖昧な表現で断定的
直球、察せられない 変化
正否の謝罪 ゴメン 仲直りの挨拶
励まし求める 悩み 慰めを求める
社会全体 話題 私生活
何も言われなくても
わかりあえる関係 理想
どんなことでも
何でも語る関係
行動 1つの事しかできない 同時に何でもできる
1点集中主義 分散型
現状維持行動 変化嗜好行動
同じ店、決まったメニュー
気に入ったものがあったらそればかり
たとえ気に入ったものがあっても
色々試してチャレンジしたい
丼ぶりもの好き バイキング好き
直線的視野 広角的視野
ブチッとキレる ギャーギャーわめく
「考え」の受容を求める 「感情」の共感を求める
失敗した時の「挫折感」が強い 共感が保たれない「拒絶感」が恐い
1人でゆっくり考えたい 2人で話し合いながら考えたい
恋愛 1人で幸せを感じにくい 1人で幸せを感じられる
尊敬・賞賛・感謝されたい 大事に大切に守ってほしい
自分の相手にした行為への
評価が愛を感じる
相手を自分にどれほどにしてくれた
ことの量で愛を感じる
頼まれればひと肌脱いで助けよう 自ら進んで世話をやきたい
50%より0%でいたい 質 100%注ぎたい 量
肉体への欲求→精神への欲求 精神への欲求→肉体への欲求
視覚的喜び興奮 精神的喜びで興奮

私の体型の遍歴~頑張りすぎずに頑張り何より継続させることが一番です~

私は、結婚したころから体重に大きな変動があります。それも相当の回数です。そのたびに、スーツなどの衣料品の購入費用の支出はかなり多くなりました。身長が173cmの私のこれまでの最高体重が84キロ、最高に絞った時が63キロでした。

一時、ジムに週のうち3回程度通い、1時間エアロバイクをこぎながら読書をしていました。ところが、人間ドックで前立腺がんの疑いを調べるPSAという検査結果に異常がでて泌尿器科の先生の指示で、エアロバイクをやめることになりました。その結果、検査数値は下がりましたが、絞った体重は、再び右肩上がりになりました。

その翌年の秋口には、何が原因かわかりませんが2日間で体重が8キロ増加し、体中がパンパンに腫れるという摩訶不思議な異変が私の体に起きました。かかりつけの先生の所に行ったら、即、日赤病院にいって診断をしてもらうような指示が出ました。その日は税務調査があることになっていましたが、そんなことは言っていられません。皮膚科、血管外科、内科と3つの診療科目を回り、血液検査にCTまでする羽目になりましたが、病名はわからずじまいでした。80キロを超えた体重も、結局4週間の抗生剤と抗菌剤の投与と、症状が橋本病という甲状腺の分泌が少なくなる病気に似ていたので、その分泌をよくする薬を約3月間続けました。その結果、正月の時点では75キロまで体重が落ちました。

しかし、その後は一向に減りません。特に、体脂肪率が25%超というまさにメタボという状態でした。ジムのトレーナーからのアドバイスで、食事・運動の仕方を改めて見つめ直すとともに、確定申告が終了する日に70キロを切るという目標を手帳に書き込みました。不思議なもので10日早く3月5日に69.9キロになりました。やはり、仕事においてもそうですが目標を掲げることは大事であると実感しました。その後も多少の紆余曲折がありましたが、大きなリバウンドはありません。野菜中心の食生活とお昼は愛妻弁当のおかげで、体重は71キロ(BMIという指数でいうと66キロが理想らしいのですが)、体脂肪率も23%まで落ち、体年齢は53歳と実年齢の60歳より7歳若くなりました。

「継続は力なり」という言葉がありますが、毎朝、高機能体重計に乗り、手帳にも毎日の体重や睡眠時間、食事の量と内容・食事時間を書くことをやり続けることが功を奏したのでしょう。お陰様で、2017年10月14日、「還暦までに日本100名山を制覇する」という目標が達成できる体作りができたのだろうと思います。

今は、高校2年生で途中退部した剣道(あと少しで3段というときに辞めてしまいました。この件は、また報告します。)をやり始めました。これも無理をせず継続していきたいと考えております。

商売の極意は「始末」「才覚」「算用」~「わろてんか」を観てなるほどと思った教え~

私の気分転換の1つがNHKの朝ドラを見ることです。もちろん朝8時から始まるのでDVDに毎日録画しています。忙しいときは、1週間まとめて見るときもあります。

今年前半の有村架純主演の『ひよっこ』はドラマの流れも、主題歌の桑田佳祐作の「若い広場」も、ものすごくテンポが良く視聴率の尻上がりでした。

その後を受け、10月から始まったのが『わろてんか』です。この物語は、吉本興業の創業者・吉本せいがモデルとなった実話です。明治後期の大阪を舞台に、「笑って生きる」ことこそが自分の人生の希望だと信じるヒロイン・藤岡てん(葵わかな)が、夫の藤吉(松坂桃李)とともに、笑いを商売にするために奮闘する姿を描くストーリーとなっています。

藤吉は、米問屋の跡継ぎになる設定でしたが、物語が進むと米問屋もなくなる羽目になりますが……

その米や問屋の家訓について藤吉の母親役・啄子(鈴木京香)が語るシーンに共感しました。

かの米問屋の額に書かれてある「船場の商人」の教えについて、鈴木京香が松坂桃李に語るシーンです。

その教えとは「始末」「才覚」「算用」です。

「始末」とは、節約のことではない。ムダな出費をするのではなく、必要なときに生き金を思いっきり使うということだす。

「才覚」は、どこに商いの商機があるか見極め、誰もやらないことをやること、あんたの「団子」や「カレー」だす。この「団子」や「カレー」はドラマを観てない人にはわからないかもしれませんが……

「算用」とは金勘定をすることではのうて、帳尻を合わせることや。損して得取れいうこと。

「始末」と「ケチ」は違う。これがホンマの「始末」の極意だす。

こんな件があります。今でも、通用するカタカナ用語の「マーケティング」に通じるものではないでしょうか。

ついに日本100名山達成をしました!~3度目の正直で蔵王山の山頂へ~

 

2001年5月に阿蘇山に登ってから16年間という長き時間とお金を費やしてついに日本100名山達成をしました。

当初は、8月9日の私の還暦の誕生日にもうすぐ4歳になる孫も含めて千葉にいる娘家族も含めて登山をするつもりで、レンタカーやホテルの手配もしていたのですが、台風として19日間存在したこれまでで1位タイの長寿台風となった台風5号でボツになりました。

今度は、2人目の孫のお宮参りを9月16日にするというので、妻と2人で登り、蔵王温泉と米沢牛を食する計画を立てましたが、気象庁の予報が大きく外れ、大きくUターンし日本列島を縦断し3連休は台無しになりました。17日までは予約便の変更はできるとのことでしたが、台風の進路と登山がまったく重なってしまうので、新たにチケットを買って16日の最終便で帰山しました。

3度目の正直と言う諺の通り、10月13日(金)ある研修を受講して、その後の交流会に参加し、最終の新幹線の一本前の山形行きの新幹線にかろうじて乗れました。しかし、自由席は、おそらく単身赴任をしているサラリーマンと思われる方が多数乗られていました。私は偶然にも1席空いていたところに何とか座れましたが、ずいぶんと座れない方もおられました。

日帰りで登ろうと考えていたので、ロープウェイを使って1,661㍍の標高までと考えていました。ロープウェイの運行が始まる8時半までに着けば良いと考え、山形駅発7時40分発、蔵王温泉バスターミナル着8時17分で十分と考えていました。因みにバスは、1時間に1本しかありません。ところが、ロープウェイ乗り場に着いたら、何と団体さんの人盛りで、3本目でやっとロープウェイに乗ることができました。

地蔵山頂駅を9時25分に出発し、地蔵山を経由し蔵王山の山頂である熊野岳(1,841㍍)に着いたのが10時10分、妻が作ってくれたプレートを持って記念写真を撮りました。近くにたまたまいた青年のうち1人が山口県岩国市の出身だと言うことで話も弾み、祝福の握手(欧米だとそこの場面ではハグなのでしょうが。)もしてくれました。

時間の制約もあったので、熊野岳を10時25分に出発、今度は地蔵山をスルーして急ぎ足で地蔵山頂駅まで30分で下りてきました。ところが、予定していたバスに5分違いで乗り遅れてしまいました。ふと目にすると、十割そばと温泉がセットになったお店があってそこに飛び込みました。12時近くになるとお客さんが多くなるからと、食堂が開く11時半を待って、「急いでお願いします。」と店員さんにお願いし、10分で食事し、蔵王温泉に浸かりました。日本で2番目に酸性度が高い温泉だそうですが、次のバスを逃したらまた1時間待ちぼうけになるので、さながらカラスの行水のようなお風呂になりましたが、何とかバスに間に合い、JR山形駅で比較的ゆっくりお土産などを購入することができました。

 

さて、残りが1桁になった2015年頃から最後の山は、日本100名山でも家族で登山が楽しめる蔵王山と決めていました。昨年までに97座となりましたが、今年残した98座目と99座目の山でかなりの苦労をしました。

まず98座目は、7月14日(金)に福岡空港から新千歳まで飛んで、レンタカーを借りて、そこからの東大雪荘という宿までの時間がかかったのとコンビニ探しに往生したことと、天気予報では雨だと言うことで大変な山行になるなと覚悟したトムラウシ山(2,141㍍)でした。しかし、山の天候はわからないもので、本番15日(土)は、雨どころかピーカンの雲1つない晴天でした。

朝3時に起床し、4時から登山開始。最初は楽な山道でしたが、沢をわたり、雪渓を登り、次には岩場が出現、順調に10時には山頂にたどり着きました。いっしょに行った山仲間も絶好調でした。ところが日差しの強さと気温が高いので下山の途中から悪い予感がしてきました。もしかしてけいれんなどのアクシデントがあるのではないかと。悪い予感は的中するもので、残り約1時間で登山口の所まできたときにそれが現実になりました。徐々に違和感があり、ついにはけいれんを起こしてしまい、まったく歩けなくなりました。漢方薬で効果は抜群にあると言われている芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)を持っていたのですぐに呑みましたが、その効果も余りなく、あとは気合いと根性でこれ以上ゆっくりは歩けないだろうというスピードに減速しました。その甲斐あって何とか登山口までたどり着くことができました。

この山は、2009年7月16日早朝から夕方にかけて悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡するという山岳事故が起こった山です。とりあえず何とかなって良かったです。しかし、翌日にもアクシデント。レンタカーがパンクをしているのです。幸い同行した人がパンクなどの車関係の整備などに手慣れた人で、短時間で非常用タイヤに取り替えてくれたおかげで、余裕を持ってレンタカー会社に帰還できました。同行した人がいなければ、おそらくこの山には登れなかったと思います。

そして99座目は難関の黒部五郎岳(2,840㍍、北アルプスの最深部にあり、どのルートを使ってもかなりハードな山。)でした。この山は、同行できる人がいなくて単独で登りました。7月22日(土)東京での会合が終わっていつものように交流会を済ませていたら山口宇部空港行きの最終便には間に合わないので、発想を変えて1時間遅い最終便ある富山空港に行って少し体を休めておこうと思いました。23日(日)、8時54分発の電鉄富山(バスが1日4本しかなくこの電車に乗らなければ登山口までたどり着けません)でしたので、体力は温存できました。電車で私よりも高齢の仕事をリタイアした3人組と仲が良くなり、太郎平小屋まで一緒に行くことになりました。最高齢の方は、後期高齢者の方でしたが、コースタイムよりも1時間早くその日の山小屋である太郎平小屋まで到着。週間気象予報で雨になることはわかっていたのですが、猛暑よりましかとポジティブに考えました。

この日は、日曜日でしかも外は大雨なので、テント泊の人も山小屋に泊まったので山小屋はいっぱいでした。雨でぼとぼとの衣服も乾燥室の衣服の多さに乾燥が間に合いませんでした。仕方がないので、自分の体温で乾燥させました。山小屋は宿泊者が多く、食事をとるのが30分遅れ、6時山小屋を出発する予定が30分出遅れました。また、この日はこの折立ルートからの黒部五郎岳に行く人もいなくて少々心細かったのですが、単独で出発しました。登山ルートは整備されていて間違いをするところもなかったはずなのに、どこでどう間違えたのかルートから外れ、いつのまにか岩場の変な所に入り込んでしまいました。1時間近く正規のルートに戻るため岩場を彷徨いました。幸いにも黄色のペンキが塗ってあったのでそれを頼りに何とか正規のルートに戻れました。

たまたま、大阪から来たというテント泊の若い(おそらく30歳代だと思いました。)女性2人、男性11人のパーティーと遭遇しました。聞くと黒部五郎まで行くというので、あとを着いていきました。しかし、私とは歩く速さが違いました。彼女らが休憩したときに私が追いつくといった感じでした。黒部五郎岳へあと10分という別れ(分岐点)の表示板で写真のシャッターを押してあげました。それから、とにかく自分の観念の中には彼女らについて行けば、残り10分程度で黒部五郎岳につけるということしかありませんでした。彼女らの歩くスピードが早くて、なかなか追いつくことはできませんでしたが、彼女らが目の前にちらっと見えるぐらいに私もアクセル全開でついて行きました。長い10分だとは思いましたが、山の表示はあと○○○㍍と言っても実際はものすごい時間がかかることは経験則上あったので、ひたすらついて行きました。しかし、岩場が増え、雪渓も多くなり、1時間以上も歩いたので、さすがにしんがりの女性に聞きました。「黒部五郎岳はまだですか。」そしたら彼女は、「とっくに通過したわよ。私たちが行くのは黒部五郎小屋よ。」そうだったのか、黒部五郎岳ではなく、黒部五郎小屋だったのか。「後悔先に立たず」でした。頭に描いたのは約2時間のロス、明るいうちに山小屋に着けるだろうかだけでした。

とにかく必死で引き返しました。そしたら、黒部五郎岳は、別れの表示板通り10分の所にありました。ただ少し山頂が奥まっているので、急いでいたので見落としただけでした。

そこからは、時間との戦い、宿に出した下山予定の16時はあっという間に過ぎ、休憩もせず、水分補給だけで前を向いて歩くだけでした。山小屋が見えて、胸をなで下ろしました。到着は約3時間遅れの19時前、すでに妻の携帯には16時に帰ることになっているのにまだ帰られませんと、富山県山岳救助隊から連絡がありました。山小屋に帰って、一斉に山小屋のスタッフ全員から私が無事に帰ってきたことへの安堵感だろうと思いますが、一斉に拍手がありました。しかし、妻にはめちゃくちゃ怒られました。山岳救助隊の隊員からも事情聴取がありましたが、今回の遅れは「遭難ではありません。ただ、もう少し安全に対する努力をして下さいね。それから、こんなことがあっても山を嫌いにならないで下さいよ。捜索は、スタンバイはしていたけど、日が落ちてからするようにと言う指示を出していないですし、誰も動いていませんので気にされないように。」との話がありました。

山小屋への帰りが遅くなったので、初めてスタッフの人や山岳救助隊の人と晩ご飯を食べることになりました。かなり落ち込んでいる私に気を遣ってか、山の話は一切なしでたわいのない話をしていました。

昨日の3人組の人も明日からも天気が悪いので予定を変更して、明日下山をするということになり、再びご一緒されることになりました。私は、亀谷温泉で下り、お風呂と食事を済ませ、次のバスまでの1時間20分をゆっくりと過ごし、3日間とも雨模様の山行の反省をしました。あとは、電車に乗り換え空港に早めに行き、空港内にあるラウンジで体を休め最終の便で山口宇部空港に到着しました。

特に今年の2座はしんどかったです。他にも100名山に伴うエピソードはたくさんありましたが、かなりの山をご一緒させていただいた業界の4人の仲間や個人的なつながりのある仲間、地元の山岳連盟の方々、山でご一緒して手助けをしていただいた名も知れぬ方、そしてクラブツーリズムなどの旅行社などの協力がなければこの100名山の達成は到底困難でした。また、職場のスタッフにも迷惑をかけたと思います。もちろん最愛の妻にも。そうした多くの人に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

読図やコンパスの使い方、遭難したときの行動、レスキューの仕方など基本的なことがあまりマスターできていないのに、何とか100名山を達成できたのも、明確な目標を定め、1座1座、いろんな人の力を借り、あるいは自らの力で、と言っても準備不足や途迷いも1回や2回ではありませんが、何とか「継続」し続けたことにあります。

最後に言いたいことは、登山にしても他のなにかをやるにしても「継続は力なり」と言うことを言葉だけでなく、実践することがいかに大事かと言うことです。20代までの私にはそうしたものがまったく備わっていませんでしたが、30歳を期して未成年から吸っていたたばこを止めることから始まり、税理士試験でも「継続する力」をもらったような気がします。私には才能というものはありませんが、唯一あるとすれば「継続する力」だろうと思っている今日この頃です。

 

最終目標は開脚ができるようになること

私は幼い頃から体が硬く、学校の体力測定がイヤでたまりませんでした。結婚したとき、その余りにも固い体に妻もびっくり!何と前屈(正式には立位体前屈というそうです)がプラス10センチ以上で、「床ピタ」の妻曰く「鋼のような体だね」と揶揄されました。

日本では1999年(平成11年)から「新体力テスト」が実施されており、そこでは立位体前屈ではなく長座体前屈が採用されていますが、これは最近の子どもの体が余りにも硬く、ケガをする可能性があるからだそうです。

税理士試験合格後、少しでも体を柔らかくしたいと思い、「アサヒ」というメーカーが出しているストレッチボード「のってる快」という器具を使って毎日、毎日「のってる快」に乗っていました。わずか1分30秒で良いと書いてありましたが、角度が自由に変えられるのにも関わらず、一番傾斜の低い確度でも、足首、ふくらはぎから、太ももに震えがきて、私にとって「魔の1分30秒」でした。

税理士試験でおそらく身についたのだろうと思いますが「継続する力」は、自分で言うのもおこがましいのですが、かなりのものです。その、苦痛を日々こらえながら、何とか最高傾斜角の30度でもこなせるようになりました。そうすると、前屈は、プラスからマイナス、つまり床に自分の手先が付くようになりました。ただ、それ以上にはなりませんでした。

もうこの位で良いのかな?と諦めかけたとき、東京への出張がありました。たまたま、飛行機の中で見ていた通信販売のカタログに「フレックスクッション」という製品を見つけました。開発者は、サンテプラスの坂田(立教大学相撲部のコーチ)さんという人で、相撲の「脵割り」をヒントに開発されたものです。

背面高20㎝、全面高10㎝、座面が20度傾いており、自分の体重を利用して、座るだけで骨盤がニュートラル状態になります。私の「これ以上曲がらない」の原因は股関節にあったことを知り、朝起きてからと、風呂上がりには必ずこの器具でエクササイズをします。すると、「不思議、不思議」今では、妻と同じくらいに「床ピタ」になりました。

しかし、人間は欲深いものです。今度は、本当にお相撲さんがしているような「開脚」ができるようになりたいという衝動に駆られました。それは、「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」というEikoさんという人が書いた本のタイトルに惹かれたからでした。サブタイトルとして、4週間でできる最強プログラムとあります。

原理は簡単です。①タオルストレッチ、②しこストレッチを毎日しながら、1週間目に内ももストレッチ、2週間目に壁ストレッチ、3週間目に椅子ストレッチ、そして最後の4週間目にドアストレッチをするのです。しかし、実際はそうは簡単にはいきません。なぜなら、元々「鋼のような硬い体だからです。2週間目の壁ストレッチで「壁」にぶち当たりました。おやじギャグです。(オー寒!)

そこで、今度は、「一人で出来る開脚マシン」を購入しました。これだと、自分の手の力で、かなり無理やりに「開脚」の助けになるのです。このバナー(ウェブ上の広告)を見てすぐに、購入しました。お陰様で、何とかあと3ヶ月(年内)には開脚ができるように思えてきました。あとは、「継続は力なり」です。

因みに、体が硬い人は

①肩こりや腰痛などを起こしやすい。

②なんでもないところで転びやすくなる。

③猫背になるなど姿勢が悪くなる。

④動くと凄く疲れやすい。

⑤筋肉の収縮が少なくなり血流が悪くなる。

などの弊害があるそうです。

何とか目標に向かって、「開脚」ができるようになり、それが長続きできるようにやってみます。ただし、「頑張りすぎずに、頑張る」の精神で!

平和を身近から考える

8月9日は私の誕生日ですが、同時に長崎原爆記念日でもあります。前回のブログに掲載いたしましたが、還暦の誕生日に日本100名山の最後の一座である蔵王山を家族で達成するという記念日を、台風5号の影響で断念しました。 ということからこの日は、長女が住んでいる娘婿の会社の社宅で、甲子園の熱戦を観ていました。

画面が長崎の平和記念式典に切り替わり、田上長崎市長が平和宣言をしていました。 長女曰く、田上長崎市長は毎年素晴らしいスピーチをするというので真剣に聞いていました。朝日新聞デジタル版は、『長崎市長、平和宣言で政府批判「姿勢理解できない」』、『日本政府に対しては、唯一の被爆国として核保有国と非保有国の「橋渡し役を果たす」としながら、核兵器禁止条約交渉に参加すらしなかった姿勢を厳しく批判。「条約への一日も早い参加」を求めた。憲法の平和の理念と非核三原則の「厳守と世界への発信」も政府に求めた。』とし、一方、『安倍晋三首相は、一般論は述べるものの、具体策には言及しなかった。』と報道していました。

そして、原爆投下時間の11時2分になったら、長女の呼びかけに合わせて、娘婿、もうすぐ4歳の長男、そして7月10日に誕生した二男を抱いて黙祷したのです。もちろん、私たち夫婦もそれに合わせて黙祷しました。 後で長女から聞くと、広島の平和式典でも、終戦記念日でも一家で平和を祈り黙祷しているとのこと。かなりの驚きと良い妻、母になったものだとその成長ぶりに父親としての喜びを感じざるを得ませんでした。

私は、家族に何故長崎に原爆が投下されたかの逸話を話しました。広島型のウラン爆弾より性能が高いプルトニウム爆弾の比較検証がしたかったこと、当初は小倉に投下する予定だったのが、天候不順で見通しが悪く、しかしどこかに落とさないと帰りのB52の燃料が足りないという理由で長崎への投下が決まったこと、皮肉にもクリスチャンが多い長崎市の郊外の浦上地区だったという話をしたら驚いていました。

この3日間、安倍晋三首相はどんな思いで色んなスピーチを聴いていたのでしょうか?果たして不戦の誓いをしていたのでしょうか?それとも憲法9条三項の政治日程と戦略へ思いを巡らしていたのでしょうか?少なくとも不戦の誓いはしていないと私は感じます。それは、靖国神社に玉串を奉納したからです。

安倍晋三首相は、首相が尊敬しているA級戦犯でもある岸信介元首相ができなかった野望を実現すべく、ひたすら前を向いて突き進みたいのだろうと思います。

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