神棚に上げた書類が重加算税に

私が関わった事例で裁判まで争った事案です。ある方の紹介で初めての納税者に会いましたが、とても律儀な職人さんと言った印象を持ちました。若い頃の無理がたたったのか既に病気がちで年齢も還暦を過ぎておられました。また、経理担当の奥様も「若い頃はすごく美人ではなかったかな」と思われる理知的な感じの方でした。

ご主人は、潜水夫で海洋土木専門の準大手ゼネコンから直に仕事の受注を受けていた会社の社長でした。 バブルの頃はたくさんの潜水夫を雇われていましたが、バブルの崩壊で仕事がめっきり減少しても、利益の源泉である潜水夫に辞めてもらったらいざ受注できたときに困るので雇用を継続されていました。

しかし、待てども暮らせども受注はなく塗炭の思いで潜水夫全員に辞めてもらうことになりました。その結果、バブルの頃は大変良かった財務内容も人件費という最大の固定費がかさみ、毎年赤字を垂れ流し、とうとう債務超過にまで陥りました。 当時は、税務上の繰越欠損金(赤字の繰越)は5年間で消えてしまう時代でした。既にそのほとんどは消えてしまい、会計上と税務上の欠損金に大きな乖離が出てしまいました。

そんな折、元請先に税務調査が入り、元請先では既に書面で下請先である当会社の債権を既に書面で放棄をして、貸倒れ処理をしていました。その金額も大きく約5,000万円という多額なものでした。

当然、下請業者である当会社とすれば、元請先から債権放棄されているので税務処理上、債務免除益(5,000万円の利益)を計上しなければなりません。しかし、社長としては、元請けからのありがたく大事な書類という認識はしていたので、その債権放棄通知書を神棚にあげていました。

職人としては一流でも、その書面が税務上どんな扱いになるか知る由もありませんでした。したがって、顧問税理士にもそのような書類を元請先からもらったことの報告もしていませんでした。

しばらくして、元請先の貸倒れ損失(5,000万円の損失処理)が適法かどうかの確認のため税務調査が下請先である、その社長の会社に入りました。税務調査は、件の債権放棄通知書は「益金になる」との指摘を受けたばかりか、顧問税理士にもその報告をしなかったのが、「隠ぺい行為」に当たるものとして、重加算税の付加を受けることになりました。

担税力もまるでないのに法人税の課税対象となるばかりか、重加算税の付加のおまけ付き、顧問税理士は税務署の言われる通り修正申告書を一言の文句も言わず、また、「納税の緩和措置」もせずに、厚かましいことに税務調査の立ち会いの費用まで請求してきました。

その調査に「ガテンがいかない」社長は、親しくしていた知人に相談したところ、私の事務所を知り「何とかならないか」という相談がありました。

これは大変な事態だとすぐに私も認識し、本税部分は元請けが貸倒れ処理した時期と当会社が債務免除を認識した日のズレを理由に課税処分の取り消しを、そして重加算税の付加については、隠蔽の認識はなかったことを理由に苦し紛れにその取り消しを求めました。

私とすれば、本税部分は既に修正申告書を提出もしているし、なかなか難しいにしても、重加算税の取り消しは見込みがあると踏んでいました。というのも、会社は、ほぼ死に体で、担税力が全くないのに無理矢理に課税するのはいかがなものかなと内心思っていたからです。

最終的には課税処分は退けられましたが、国税局の判断で「滞納処分の取り消し」と言う処理をしてもらい、結果として納税はなくなりました。課税部門は税務調査で成績をあげれば、後は徴収担当が何とかしてくれると思ったのでしょうか。成績至上主義にも程があると感じました。

滞納処分の執行停止に至るまでの経緯は次のようなものです。現行の異議申立とシステムとは違いますが、異議申立も審査請求も棄却でした。しかし、ここまではそうなるというのは想定内でした。

税務事案が裁判になるのを少なくするため「前置主義」つまり異議申立と審査請求という制度が置かれています。納税者と相談し、重加算税だけは裁判で争うと意識の統一をしていました。

納税者の知り合いで、ものすごく信頼していて有能でかつ実績のある、とある弁護士に「重加算税の取り消し訴訟」を依頼しました。その弁護士は、たまたま私も知っていて、正義感が強く、弱者のためならボランティア価格で頑張ってくれる方でした。 その弁護士と何回も打ち合わせして、「争点」は、納税者にとって現金取引の伴わない書面一枚を神棚にあげて税理士に報告しなかった行為が「隠ぺい行為」に該当するかに絞りました。

税務調査、不服申し立て段階から一貫して、納税者は包み隠さず「この書類は大変ありがたいもので、このような結果になったのも私が、信仰心が強く、すべて神様のお陰様と考え、神棚に書面をあげたことによるものである。」と主張してきました。同じような事案で「重加算税を課すのは酷だ」と言う裁決事例もあったので勝てる見込みがあると裁判に臨みました。

ところが、判決文は予想に反して「知らないあなたが悪い」との不当判決でした。控訴も検討しましたが、これ以上は精神的にしんどいとの納税者の意向で、やむなく断念しました。

後日談ですが、私が所属しているある勉強会に、件の裁判官が退官され、後に弁護士登録されてその勉強会に入会されました。初めての勉強会の後の宴席で件の判決のことが話題になりました。実はこの裁判官は、地元山口の出身で一旦就職して、しかもエリートコースに乗れる大学の出身ではなく、ものすごく苦労して現在の地位を築き上げ、さらに、ある高裁の裁判長の内示があったときにこの判決文を書いたようで、もし、その判決文で納税者側を勝たせるものを書いたらその内示が不意になったらとの思いが強く、やむなく納税者が負ける判決文を書いたが、本当は「原告である納税者勝訴」の判決文を書きたかったと打ち明けてくれました。元々裁判官は、だれからも独立した地位のはずなのに、こんなことが起こるのも、政府官邸人事と同じように、裁判官も最高裁事務局に人事が委ねられていることの悲しい証左なのかも知れません。

MHK出版発行の「犬になれなかった裁判官」の逆バージョンだと思いましたし、そうした人事が判決を歪めている側面があると感じました。官庁でも民間でも人事畑の人間は出世すると言われることも頷けます。

さて、裁判も終わり、次に待っていたのは納税でした。余りにも納付金額が多いので、担当は、国税局の滞納整理部でした。あらかじめ納税者の財産調査をして、まったく納税資金がないとわかってから、既に滞納処分の執行停止に動いた節がありました。結局、国税局の滞納整理部の方は年に一回も来訪せず、納税者の2回の訪問で滞納処分の停止に至りました。

まじめに納税をしようとしてもたまたま不可抗力で、担税力がなくなりその後も納税の見込みがない納税者に課税しても、課税部門も徴収部門も苦労の割には成果がでないような税務調査は止めてもらいたいと願っています。