2017年10月14日、台風の影響で3度目の挑戦で日本100名山の最後の山「蔵王山1841㍍」に登ってから、登山に対するモチベーションが下がったのか、その後、里山も含めて明らかに登山の回数が減りました。
年初に立てた目標は、登った日本100名山で「雨などで景色を満喫できなかったところ」に行くことでした。ハイシーズンの7月~9月にかけて、計画していた「白馬の大雪渓」への挑戦(一昨年登ったときは10月上旬で大雪渓は通行止めでした)は、約束していた同行者が腰を痛めて諦めました。また、以前の登ったときは雨でまったく眺望を見ることができなかった「蓼科山」「霧ヶ峰」「美ヶ原」も台風の影響でキャンセルしました。
「雲ノ平」と言えば北アルプスの最深部にあり、眺めるたびにいつかは行ってみたいけど「日本100名山」をめざす人は、そちらが優先になります。私もいつかはとあこがれていた山です。
当初の計画では、税理士仲間4人(男女それぞれ2名)でしたが、1週間前に一人がお子様にアクシデントがありリタイア、前日には本人が風邪と下痢のためリタイア、結局私と私の「日本100名山」達成するために大変尽力をしてもらった、私よりちょっとだけお姉さんで山登りにかけては知識も技術も体力も凌駕されている女性税理士(以下師匠と呼びます)と2人での山行となりました。
以前は「晴れ男」と言われていましたが、最近は「雨男」とか「嵐を呼ぶ男」とか言われているのが今回の山行でも現実になりました。「週間天気予報」通り前日から雨模様で、師匠もご主人(師匠の話では、今でも岩登りや沢登りなどを休みのたびに楽しみ、そのための体力を付けるために毎日の通勤は徒歩で1時間半かけるという山登りの神様のような方だそうです)から「今回は天気も相当悪いし、やめた方が良いんじゃない」と言われたそうですが、師匠は私が既に前泊して富山にいましたので、朝一番の新幹線で富山に駆けつけてくれました。
一方、私は師匠と落ち合う前日の9月2日午後3時前の新幹線で新大阪まで行き、特急サンダーバードに乗り換えて金沢へ、その後高速バスで富山に入りました。富山駅前のホテルには夜の8時半過ぎに到着し、ゆっくり体を休めました。
翌日21日の朝10時前に富山駅で師匠と待ち合わせた頃は曇り空でしたが、電車からバスを乗り継いだ頃から、天気予報がズバリ的中して雨模様になりました。折立の登山口では雨具を完全装備して、12時過ぎから歩き出しました。テレビで見たことのある有名な山岳ガイドが団体客を引き連れわれわれの後からついてきました。辺り一面はすっかりガス模様で、われわれが休憩する度に団体さんが追いついてきて、それを機にわれわれが再び歩くと言うことを3回繰り返し、16時半に山小屋1泊目の太郎平小屋(何度も泊まっている馴染みの山小屋)に着きました。
雨の予報と既に登山のハイシーズンの終わりかけの頃なので余り登山客が多くなく、4人部屋に2人という快適な場所を確保できました。因みにハイシーズンの頃の北アルプスの山小屋では、1枚の布団に2人が寝ることも珍しくはありません。そんな時は、山では何泊も着替えをしないことは珍しくなく、その汗の臭い、疲れからくると思われるいびきなどで神経質な人は一睡もできないという人もいます。
また、この日の夜中は、風雨がひどく次の日の天気を気にしながら、師匠と山登りのための体力増強法やストレッチの方法などもしましたが、いつの間にかいつものように税理士業界やそれぞれの事務所の運営や業務上の悩みなどの情報交換が会話のほとんどを占めました。もちろん、歩行中でも急登や危険な場所以外での会話も同じような仕事の情報交換の会話に終始しました。師匠は、その荒れた天気のせいかもしれませんでしたが、あまりよく寝られなかったそうです。
二日目も朝からかなりの雨模様でしたが、ゆっくりとしかし確実に師匠の後についてひたすら歩を進めました。特に薬師沢小屋からの登りが大変でした。急なはしご、雨のため滝の裏を渡るかのような吊り橋、そして岩ごろごろの急坂、しかも登山道は沢のように水が流れジャブジャブの状態がかなりの時間続きました。それでも11時頃に急坂を登り終え、雲ノ平の端っこに飛び出したときには雨も嘘のように止み、ピーカンの青空になりました。
私のすぐ後をついてきた山ガールと会話が弾みました。薬師岳や黒部五郎岳の山容が堂々たる顔を見せましたが、彼女はハイスペックの一眼レフをザックに入れていて「良い写真が撮れそうです」と大はしゃぎでした。
雲ノ平山荘に着くまでは心の弾む木道歩きでした。13時に雲ノ平小屋に到着しましたが、ここで大きなトラブル発生しました。日頃は余り使っていなかったザックカバー(リュックザックに入れてある衣類などの中身に雨水が浸透しないようにザック全体を覆う防水カバー)のバックル(留め具)が破損しており、そのためにザックの中がかなり湿ってしまいました。
中に入れていた手帳や財布まで湿っていました。ザックに収納していたすべての中身を天日干ししました。お天道様の力はたいしたものでザックの中身だけではなく、ぬれていた登山靴やソックス、カッパなどはすぐ乾きました。しかし手帳だけ手の施しようもなく下山後ドライヤーで1ページごとに乾かしました。
登山者からからかわれたのは、財布の中のお札を乾かしていたことでした。山小屋ではクレジットカードが使えないので、福沢諭吉や野口英世を何枚も乾かしていたら、「見張り番をしようか」と何人にも声をかけられました。
下山後で、その破損の原因を見つけてもらおうとその製品のメーカーであるモンベルに現品を送付しましたが、自分では比較的新しいものだと思っていたら、10年以上前に購入していた製品であり、ずっと使わずにパックの中にカバーを押し込んでいたので、経年劣化が激しくなったのが破損の原因だと担当者から詳しいメールをもらいました。
それは、カッパやスパッツ(足首と靴との間に砂や小石が入るのを防止する覆い)も同じで、その担当者のアドバイスでは、使用しないときはパック中に入れない方が経年劣化の進行が遅くなるとのことでした。そのアドバイスを受けて、パックに入れていたものはすべて出して、衣類ケースに収納することにしました。
さて、雲ノ平山荘は、2010年に新築されたとても綺麗な山小屋で収容人員は70人の小屋でした。夕食は、山小屋で初めて体験した「石狩鍋」のごちそうでした。19時から小屋主の話がとても面白く、この小屋ができた経緯や苦労話を聞いて山小屋が果たすべき役割と国立公園なのに僅かな補助金(僅か10億円だそうです)で登山道の整備も委ねている政府の予算の使い方を変えるべきだと思いました。イージス・アショアに使う予算(6000億円が必要だと報道されています)を使わなければ、北アルプスのなど国立公園などの整備をきちっとでき、外国人登山客も増え、国も結果として潤うのではないでしょうか。
三日目からは、昨日までがウソのような快晴となりました。まさに「天空の楽園」と言われる雲ノ平を出発しました。標高2,500㍍位から3,000㍍の光景は今まで何度も通った北アルプスでも最高の景色でした。北アルプスの象徴である槍ヶ岳をずっと眺めながらの尾根歩きはこれまでで味わったことのない最高のものでした。
今まで幾度か泊まったことのある三俣山荘、双六小屋を経て、宿泊予定の鏡平小屋に着きました。実は、この小屋には初めて泊まりましたが、鏡平には、池塘(「ちとう」と読み、高層湿原に点在する小池と言う意味です)が点在し、その一番広い鏡池には、木製のテラスがあり、東正面に見える槍ヶ岳の絶好の展望台となっています。そこで、山小屋で購入した本格的なコーヒーをすすりながら、その雄大な景色に圧倒されました。
「逆さ富士」は有名ですが、ここでは「逆さ槍」が眺められます。雄大な槍・穂高連峰は、長く眺めても飽きません。この山小屋での夕食は4時半からでした。それは、夕映えで赤く染まる穂高連峰が現れたときは一斉に宿泊者が食事の手を止めて、外に出てしまうから、早い時間に食事を提供することになっているそうです。この日は、その風景は残念ながら見られませんでしたが、「逆さ槍」は何とかカメラに納めることができました。
最終日は、緩やかな下りをゆっくりおりました。おそらく軽四で運んだ思われる一個100円の冷え冷えのトマトを食し大満足でした。下山予定地の新穂高温泉には10時に着きました。そこで久しぶりに風呂に入り、前泊を含め4泊の山旅を振り返りました。バスの時間が、オフシーズンなので便が少なく、その待ち時間に手打ちそばに舌鼓を打ちました。
新穂高温泉からのバスは、ほとんど登山客でいっぱいでした。平湯温泉でまた1時間の待ち時間がありました。平湯温泉は、岐阜県高山市にある乗鞍や上高地の中継地で、大きなバスターミナルになっています。そこで、NHKの朝の連続TVドラマ「半分、青い。」で有名になった五平餅を食しました。「あと5個で完売ですよ」と言う焼き手の青年の声についつい買ってしまいました。青年曰く、「最近はすっかり有名になっていつも完売ですよ」と思わず笑みを漏らしていました。
松本行きのバスに乗れない人が続出してすぐに次の臨時便が出ましたが、われわれはザックを乗り場においてゆっくりしていましたので、先頭から二組目で幸いにも良い席に乗ることができました。しかし、三連休の最後の日の午後と言うこともあって松本行きの道路は渋滞していました。
松本駅で「特急あずさ」に乗り帰路につく予定でしたが、この列車は松本駅始発ではなく白馬駅始発だったので、松本駅では「既に自由席は、ほぼいっぱいです。30分後に臨時便を出しますので自由席の方はそちらの電車もご利用ください」という放送が流れました。その放送が流れても列から離れる人は少なく長蛇の列でした。なるべく早く帰りたかったのでこのあずさに乗りましたが、まさかと思いきや本当に自由席が満席状態でした。デッキでずっと立ちっぱなしかと諦めていましたがさすがは、師匠、次の塩尻駅でおりそうな人をリサーチしていました。僅か10分で座ることができました。
うらやましいと思ったのは、首都圏に住んでいる人は日和を見ながらアルプスなどに行けるのと、日帰りでかなりの日本100名山が登れると言うことです。反対に、人がやたらと多く電車は座れないのが当たり前、週末のラッシュ時の高速道路は30㌔くらいの大渋滞は当たり前の世界です。
中国地方にある日本100名山は、鳥取県の大山だけですが、山口から大山の登山口までは車で約6時間はかかります。東京からだと、飛行機で米子空港まで僅か1時間でいけます。やはり、東京一極集中は登山の世界でもあるのですね。「地方創生」という課題をどうするかも考えた山旅でした。