確定申告の初日2月17日(月)私は地元の商工会議所の会議室にいました。税務援助の一環です。その日の開始30分前の午後1時に会場の会議室に入ったら10人位しか席がないのに既に満杯でした。商工会議所の職員が「1時半からの案内なので、その時間から始めてください。」との指示だったので、それまで、消費税については手書きで申告書を書いたことがなかったので、目を皿のようにして読みましたが私の理解力が悪いのか要領を得ませんでした。因みに、消費税の申告の手引きも国税庁が慌てて作ったのか誤植が2カ所ありました。
商工会議所の事績簿には、住所・氏名・屋号・売上金額・後継者の有無・その相談の必要性の有無の有無を書く欄がありました。
さて、いざ開始すると、職員の相談員が2名と補助の方が1名それに私の4人で対応に当たりました。あらかじめ職員から聞いていたのですが、「基本的に相談者は青色申告者で青色決算書や確定申告書に記載がされており、チェックを中心にお願いします。」とのことでしたので、少し安心をしていた矢先、最初の相談者が損失の申告でした。
(ケース1)年金の金額がたくさんあり、源泉徴収もされていました。ところが、ここ3年間事業所得がマイナスなのです。今年の収入はゼロで必要経費のみ計上されていました。事業の損失と年金所得を通算すればすべての源泉税が還付になります。少し首をかしげる申告書でした。相談者は納税者の奥様でした。その奥様に、本当に売上高がゼロなのか聞いてみたところ「主人はある大手メーカーで、機械のメンテナンスの仕事をしていていたのですが、営業をまるでしないのです。その結果、この一年はまるで仕事がなかったんです。」との返事でした。
(ケース2)ご主人が昨年11月に亡くなったので、事業を廃止するという相談者がありました。準確定申告の作成指導をしました。それなりに所得がある納税者でしたが、後継者がいないので廃業と言うことになったそうです。山口県は、後継者がいない県のワースト3位(因みに、ワースト1は沖縄県、2位は鳥取県です。)というありさまです。
(ケース3)製造業を営む方で高齢だし、後継者もいないので事業を10月にたたんだ人の事例です。事業は、償却資産の除却などでそれなりの損失が出でいました。一方で、小規模企業共済掛け金を最高額(月7万円)支払っておられました。30年近く加入があったのでそれなりの金額の給付金があり、ばっちり源泉税を取られていました。ご病気をされたのか医療費控除等もたくさんありました。事業所得の損失と退職所得の損益通算と多額の所得控除があって、かなりの還付金になりました。
(ケース4)職員が相談に途中まで乗っていて、また損失の申告だと言うことで私のところに回ってきた林業を営むアラサーの青年です。また損失の申告?と思いましたが、確かに青色決算書を見ると損失が出ていました。しかし、必要経費のところをよく見ると「土地」が必要経費になっていました。本人に聞くと自分が使っているPCのソフトに土地という項目があったのでそこに入れたと言うことでした。若いのでパソコンには習熟されているようで、このソフトも無償で手に入れたと言っていました。どうして、土地勘定が必要経費に設定できるのかは不明です。昨年に、脱サラをして下関市の中山間地で両親と一緒に暮らしているそうです。今の仕事が面白くて仕方ないと活き活きされていました。
時間があっという間に過ぎてしまい、時計を見たら5時を回っていました。この日は、11枚の申告書に目を通しました。しかし、懸念をしていた消費税とは縁がなく、やたらと損失の申告が多かった印象があります。そして、商工会議所が用意していた事績簿の「後継者がいる」の部分は/を入れるしかありませんでした。唯一山林業の青年のファイトに救われました。
下関市は平成の大合併で2005年(平成17年)旧下関市と郡部4町が合併して、新しい「下関市」が誕生しました。この合併により、新しい下関市は、福祉やまちづくりなどの権限が移譲される「中核市」の要件を満たし、その年の10月には中核市になりました。その当時は、合併によりバラ色の未来が切り開かれるような「マインドコントロール」をされていました。当時の人口は、301,097人(平成12年国勢調査)で、人口30万人以上という「中核市」の当時の要件すれすれでした。しかし、5年ごとに行われる国勢調査(平成17年)の確定値では、もはや人口は実際には30万人を割り込んでおり、290,693人でした。あれから15年、2020年3月の市報によるとその人口は、260,614人と最高時から40,483人、13.4%という急速な人口減少です。この街の特徴である水産業、観光業など衰退の一途です。
安倍首相の地元の下関市、「ふるさと創生」をスローガンにあげるのなら、自ら手本を示し全国一街作りの見本にして欲しいものです。