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アレックス小倉さんの恋愛学講座を聞いて~恋愛にも、男と女の違いにも則性がある~

小学校・中学校の同級生でもあり、顧問先さんでもある方から、あるセミナーに参加してもらいたいとお願いされました。そのセミナーの様子をまとめてみました。

驚いたことが、ワインを飲みながら講演をされるということと、その中身が私の堅い仕事?とは無縁の「恋愛や男女間の思考の違い」でした。

講師のアレックス小倉さんのプロフィールをHPから簡単に抜粋して紹介します。昭和35年5月19日生まれ。出身地: 岡山県倉敷市。

娯楽の少なかった昭和40年代に幼少期をすごし、小学時代は父親に時折連れていかれた映画館が唯一の楽しみだった。中でも「シェーン」「駅馬車」「007シリーズ」等洋画のアクション映画に心をときめかした。中学一年生の時にたまたま当選した映画の試写会「ジャッカルの日」に感銘をうけ、それ以来狂ったように映画を見始める。

高校時代に映写技師のバイトを始め、様々な映画館に顔パスで入れるようになり、高校2年の時「一年間で映画363本を映画館で見る」という偉業を達成。さらには、高校3年の夏に処女監督作8mm映画「七月の風」を撮り、高校の文化祭で上映。見るよりつくる映画の楽しさを知り、日大芸術学部映画学科監督コースに進学(船越英一郎と同級生とのこと)。自主映画製作に没頭。製作資金の為に数々のバイトを経験し、最終的に一番収入の多かった銀座のクラブでのボーイに落ち着く。~映画を作るために東京に出て来たのにこのまま水商売の人生でいいのか?」と映画界への復帰を望んでいた時、「香港での新規立ち上げ店の責任者として3年働けば、帰国後は映画製作会社に入社を確約」という幸運な話が舞い込み即決。27歳で高級カラオケクラブと大型ディスコの責任者として香港に渡り、バブル全盛期に夢のような海外生活を経験する。

30歳で帰国後、映像制作会社で、映画・Vシネマを数々製作。愛と性をテーマに数多くの作品に脚本/監督/プロデューサーとして関わる。Vシネマの作品作りの参考にと始めた「恋愛心理学」「動物行動学」「生物学」「脳科学」等の勉強に没頭し、自らの幾多の恋愛経験と照らしあわせ、独自の『恋愛学』(「愛主体の相対性異論」「ピタリ5デスの定理」「フレーミングの両手の法則」等)を確立。2007年より全国で『恋愛セミナー』を開始。2008年秋に『新恋愛セミナー』として、再始動。2009年9月で全国30都市以上、累計100回の恋愛セミナーを達成。また企業研修も開始。2009年10月より内容を一新した「恋愛学講座」を実施。2012年末で累計300回達成。

現在は「恋愛学講座」の全国行脚と共に「2032年に高校教育に授業科目として『恋愛学』を!」というビジョンのもと、その前哨戦として「ラブセービング協会」を設立し、全国に「ラブセーバー」を育成する活動にも尽力を注いでいる。

カウンセラー資格:
・日本メンタルヘルス協会:研究コース東京20期・心理カウンセラー

主な企業講演&研修講演:
・愛知中小企業家同友会知多青年同友会
・ライフパーク倉敷(倉敷市教育委員会主催講演会)
・山口県商工会議所青年部連合会「第26回会員大会徳山大会」記念講演
・山口県柳井商工会議所
・キリンビール株式会社など

アレックスの著書

『「一生に一度の本当の恋」を叶える9つのカギ』
アレックス小倉[著]
(学研パブリッシング/定価1300円)
全国の書店にて、好評発売中!

「愛主体(あいしゅたい)の相対性理論」

その講演の要約を図や算式にして紹介をします。共感できる部分がたくさんありました。もし講演の依頼や恋愛相談があれば、カウンセリングもやっておられるようなので、「アレックス小倉」とネットで検索すればホームページがあります。

男も女も
恋も愛も
喜びも悲しみも
 
相対的である

E=mc²

Energy = E = emotion
エネルギー       感情

Mass = M = manner
質量       態度・ふるまい

Celeritas = C = character
光の速度        性格・人格

 

男脳・女脳の差異

・DNA(XX、XY)
・ホルモン(テストステトン、コスロケン)
・脳りょうの太さの差異

左脳 右脳
・論理的思考
・言語認識
・推論・分析
・計算
・空間認識
・イメージ
・発想・創造
・芸術
考える力 感じる力
理性(理論) 感性(直感)
男は左脳か右脳かどちらかしか働かせない

 

ミラー法則

+があれば△がある
北があれば南がある
縦があれば横がある
 
相対性がセットになっている

甘いものを知っているから、辛いものがわかる

 

男脳のキーワード

  1. シングル(集中)
  2. 論理的
  3. 問題解決思考
  4. プライド優先
  5. 鈍感
  6. 競争力
  7. 公平な愛が理想(母性愛を学んでいる)
女脳のキーワード

  1. マルチ(分散)
  2. 感情的
  3. 共鳴共感志向
  4. 安心優先
  5. 敏感
  6. 共生心
  7. 無条件の愛が理想(母性がある)

 

男脳 女脳
会話 意見交換 感情交流
論理優先 気持優先
結論重視 プロセス重視
アドバイスしない ただ聞いてほしい
誉めてほしい わかって(認識)ほしい
自慢話 気晴らし会話
断定表現でも曖昧 曖昧な表現で断定的
直球、察せられない 変化
正否の謝罪 ゴメン 仲直りの挨拶
励まし求める 悩み 慰めを求める
社会全体 話題 私生活
何も言われなくても
わかりあえる関係 理想
どんなことでも
何でも語る関係
行動 1つの事しかできない 同時に何でもできる
1点集中主義 分散型
現状維持行動 変化嗜好行動
同じ店、決まったメニュー
気に入ったものがあったらそればかり
たとえ気に入ったものがあっても
色々試してチャレンジしたい
丼ぶりもの好き バイキング好き
直線的視野 広角的視野
ブチッとキレる ギャーギャーわめく
「考え」の受容を求める 「感情」の共感を求める
失敗した時の「挫折感」が強い 共感が保たれない「拒絶感」が恐い
1人でゆっくり考えたい 2人で話し合いながら考えたい
恋愛 1人で幸せを感じにくい 1人で幸せを感じられる
尊敬・賞賛・感謝されたい 大事に大切に守ってほしい
自分の相手にした行為への
評価が愛を感じる
相手を自分にどれほどにしてくれた
ことの量で愛を感じる
頼まれればひと肌脱いで助けよう 自ら進んで世話をやきたい
50%より0%でいたい 質 100%注ぎたい 量
肉体への欲求→精神への欲求 精神への欲求→肉体への欲求
視覚的喜び興奮 精神的喜びで興奮

私の体型の遍歴~頑張りすぎずに頑張り何より継続させることが一番です~

私は、結婚したころから体重に大きな変動があります。それも相当の回数です。そのたびに、スーツなどの衣料品の購入費用の支出はかなり多くなりました。身長が173cmの私のこれまでの最高体重が84キロ、最高に絞った時が63キロでした。

一時、ジムに週のうち3回程度通い、1時間エアロバイクをこぎながら読書をしていました。ところが、人間ドックで前立腺がんの疑いを調べるPSAという検査結果に異常がでて泌尿器科の先生の指示で、エアロバイクをやめることになりました。その結果、検査数値は下がりましたが、絞った体重は、再び右肩上がりになりました。

その翌年の秋口には、何が原因かわかりませんが2日間で体重が8キロ増加し、体中がパンパンに腫れるという摩訶不思議な異変が私の体に起きました。かかりつけの先生の所に行ったら、即、日赤病院にいって診断をしてもらうような指示が出ました。その日は税務調査があることになっていましたが、そんなことは言っていられません。皮膚科、血管外科、内科と3つの診療科目を回り、血液検査にCTまでする羽目になりましたが、病名はわからずじまいでした。80キロを超えた体重も、結局4週間の抗生剤と抗菌剤の投与と、症状が橋本病という甲状腺の分泌が少なくなる病気に似ていたので、その分泌をよくする薬を約3月間続けました。その結果、正月の時点では75キロまで体重が落ちました。

しかし、その後は一向に減りません。特に、体脂肪率が25%超というまさにメタボという状態でした。ジムのトレーナーからのアドバイスで、食事・運動の仕方を改めて見つめ直すとともに、確定申告が終了する日に70キロを切るという目標を手帳に書き込みました。不思議なもので10日早く3月5日に69.9キロになりました。やはり、仕事においてもそうですが目標を掲げることは大事であると実感しました。その後も多少の紆余曲折がありましたが、大きなリバウンドはありません。野菜中心の食生活とお昼は愛妻弁当のおかげで、体重は71キロ(BMIという指数でいうと66キロが理想らしいのですが)、体脂肪率も23%まで落ち、体年齢は53歳と実年齢の60歳より7歳若くなりました。

「継続は力なり」という言葉がありますが、毎朝、高機能体重計に乗り、手帳にも毎日の体重や睡眠時間、食事の量と内容・食事時間を書くことをやり続けることが功を奏したのでしょう。お陰様で、2017年10月14日、「還暦までに日本100名山を制覇する」という目標が達成できる体作りができたのだろうと思います。

今は、高校2年生で途中退部した剣道(あと少しで3段というときに辞めてしまいました。この件は、また報告します。)をやり始めました。これも無理をせず継続していきたいと考えております。

商売の極意は「始末」「才覚」「算用」~「わろてんか」を観てなるほどと思った教え~

私の気分転換の1つがNHKの朝ドラを見ることです。もちろん朝8時から始まるのでDVDに毎日録画しています。忙しいときは、1週間まとめて見るときもあります。

今年前半の有村架純主演の『ひよっこ』はドラマの流れも、主題歌の桑田佳祐作の「若い広場」も、ものすごくテンポが良く視聴率の尻上がりでした。

その後を受け、10月から始まったのが『わろてんか』です。この物語は、吉本興業の創業者・吉本せいがモデルとなった実話です。明治後期の大阪を舞台に、「笑って生きる」ことこそが自分の人生の希望だと信じるヒロイン・藤岡てん(葵わかな)が、夫の藤吉(松坂桃李)とともに、笑いを商売にするために奮闘する姿を描くストーリーとなっています。

藤吉は、米問屋の跡継ぎになる設定でしたが、物語が進むと米問屋もなくなる羽目になりますが……

その米や問屋の家訓について藤吉の母親役・啄子(鈴木京香)が語るシーンに共感しました。

かの米問屋の額に書かれてある「船場の商人」の教えについて、鈴木京香が松坂桃李に語るシーンです。

その教えとは「始末」「才覚」「算用」です。

「始末」とは、節約のことではない。ムダな出費をするのではなく、必要なときに生き金を思いっきり使うということだす。

「才覚」は、どこに商いの商機があるか見極め、誰もやらないことをやること、あんたの「団子」や「カレー」だす。この「団子」や「カレー」はドラマを観てない人にはわからないかもしれませんが……

「算用」とは金勘定をすることではのうて、帳尻を合わせることや。損して得取れいうこと。

「始末」と「ケチ」は違う。これがホンマの「始末」の極意だす。

こんな件があります。今でも、通用するカタカナ用語の「マーケティング」に通じるものではないでしょうか。

ついに日本100名山達成をしました!~3度目の正直で蔵王山の山頂へ~

 

2001年5月に阿蘇山に登ってから16年間という長き時間とお金を費やしてついに日本100名山達成をしました。

当初は、8月9日の私の還暦の誕生日にもうすぐ4歳になる孫も含めて千葉にいる娘家族も含めて登山をするつもりで、レンタカーやホテルの手配もしていたのですが、台風として19日間存在したこれまでで1位タイの長寿台風となった台風5号でボツになりました。

今度は、2人目の孫のお宮参りを9月16日にするというので、妻と2人で登り、蔵王温泉と米沢牛を食する計画を立てましたが、気象庁の予報が大きく外れ、大きくUターンし日本列島を縦断し3連休は台無しになりました。17日までは予約便の変更はできるとのことでしたが、台風の進路と登山がまったく重なってしまうので、新たにチケットを買って16日の最終便で帰山しました。

3度目の正直と言う諺の通り、10月13日(金)ある研修を受講して、その後の交流会に参加し、最終の新幹線の一本前の山形行きの新幹線にかろうじて乗れました。しかし、自由席は、おそらく単身赴任をしているサラリーマンと思われる方が多数乗られていました。私は偶然にも1席空いていたところに何とか座れましたが、ずいぶんと座れない方もおられました。

日帰りで登ろうと考えていたので、ロープウェイを使って1,661㍍の標高までと考えていました。ロープウェイの運行が始まる8時半までに着けば良いと考え、山形駅発7時40分発、蔵王温泉バスターミナル着8時17分で十分と考えていました。因みにバスは、1時間に1本しかありません。ところが、ロープウェイ乗り場に着いたら、何と団体さんの人盛りで、3本目でやっとロープウェイに乗ることができました。

地蔵山頂駅を9時25分に出発し、地蔵山を経由し蔵王山の山頂である熊野岳(1,841㍍)に着いたのが10時10分、妻が作ってくれたプレートを持って記念写真を撮りました。近くにたまたまいた青年のうち1人が山口県岩国市の出身だと言うことで話も弾み、祝福の握手(欧米だとそこの場面ではハグなのでしょうが。)もしてくれました。

時間の制約もあったので、熊野岳を10時25分に出発、今度は地蔵山をスルーして急ぎ足で地蔵山頂駅まで30分で下りてきました。ところが、予定していたバスに5分違いで乗り遅れてしまいました。ふと目にすると、十割そばと温泉がセットになったお店があってそこに飛び込みました。12時近くになるとお客さんが多くなるからと、食堂が開く11時半を待って、「急いでお願いします。」と店員さんにお願いし、10分で食事し、蔵王温泉に浸かりました。日本で2番目に酸性度が高い温泉だそうですが、次のバスを逃したらまた1時間待ちぼうけになるので、さながらカラスの行水のようなお風呂になりましたが、何とかバスに間に合い、JR山形駅で比較的ゆっくりお土産などを購入することができました。

 

さて、残りが1桁になった2015年頃から最後の山は、日本100名山でも家族で登山が楽しめる蔵王山と決めていました。昨年までに97座となりましたが、今年残した98座目と99座目の山でかなりの苦労をしました。

まず98座目は、7月14日(金)に福岡空港から新千歳まで飛んで、レンタカーを借りて、そこからの東大雪荘という宿までの時間がかかったのとコンビニ探しに往生したことと、天気予報では雨だと言うことで大変な山行になるなと覚悟したトムラウシ山(2,141㍍)でした。しかし、山の天候はわからないもので、本番15日(土)は、雨どころかピーカンの雲1つない晴天でした。

朝3時に起床し、4時から登山開始。最初は楽な山道でしたが、沢をわたり、雪渓を登り、次には岩場が出現、順調に10時には山頂にたどり着きました。いっしょに行った山仲間も絶好調でした。ところが日差しの強さと気温が高いので下山の途中から悪い予感がしてきました。もしかしてけいれんなどのアクシデントがあるのではないかと。悪い予感は的中するもので、残り約1時間で登山口の所まできたときにそれが現実になりました。徐々に違和感があり、ついにはけいれんを起こしてしまい、まったく歩けなくなりました。漢方薬で効果は抜群にあると言われている芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)を持っていたのですぐに呑みましたが、その効果も余りなく、あとは気合いと根性でこれ以上ゆっくりは歩けないだろうというスピードに減速しました。その甲斐あって何とか登山口までたどり着くことができました。

この山は、2009年7月16日早朝から夕方にかけて悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡するという山岳事故が起こった山です。とりあえず何とかなって良かったです。しかし、翌日にもアクシデント。レンタカーがパンクをしているのです。幸い同行した人がパンクなどの車関係の整備などに手慣れた人で、短時間で非常用タイヤに取り替えてくれたおかげで、余裕を持ってレンタカー会社に帰還できました。同行した人がいなければ、おそらくこの山には登れなかったと思います。

そして99座目は難関の黒部五郎岳(2,840㍍、北アルプスの最深部にあり、どのルートを使ってもかなりハードな山。)でした。この山は、同行できる人がいなくて単独で登りました。7月22日(土)東京での会合が終わっていつものように交流会を済ませていたら山口宇部空港行きの最終便には間に合わないので、発想を変えて1時間遅い最終便ある富山空港に行って少し体を休めておこうと思いました。23日(日)、8時54分発の電鉄富山(バスが1日4本しかなくこの電車に乗らなければ登山口までたどり着けません)でしたので、体力は温存できました。電車で私よりも高齢の仕事をリタイアした3人組と仲が良くなり、太郎平小屋まで一緒に行くことになりました。最高齢の方は、後期高齢者の方でしたが、コースタイムよりも1時間早くその日の山小屋である太郎平小屋まで到着。週間気象予報で雨になることはわかっていたのですが、猛暑よりましかとポジティブに考えました。

この日は、日曜日でしかも外は大雨なので、テント泊の人も山小屋に泊まったので山小屋はいっぱいでした。雨でぼとぼとの衣服も乾燥室の衣服の多さに乾燥が間に合いませんでした。仕方がないので、自分の体温で乾燥させました。山小屋は宿泊者が多く、食事をとるのが30分遅れ、6時山小屋を出発する予定が30分出遅れました。また、この日はこの折立ルートからの黒部五郎岳に行く人もいなくて少々心細かったのですが、単独で出発しました。登山ルートは整備されていて間違いをするところもなかったはずなのに、どこでどう間違えたのかルートから外れ、いつのまにか岩場の変な所に入り込んでしまいました。1時間近く正規のルートに戻るため岩場を彷徨いました。幸いにも黄色のペンキが塗ってあったのでそれを頼りに何とか正規のルートに戻れました。

たまたま、大阪から来たというテント泊の若い(おそらく30歳代だと思いました。)女性2人、男性11人のパーティーと遭遇しました。聞くと黒部五郎まで行くというので、あとを着いていきました。しかし、私とは歩く速さが違いました。彼女らが休憩したときに私が追いつくといった感じでした。黒部五郎岳へあと10分という別れ(分岐点)の表示板で写真のシャッターを押してあげました。それから、とにかく自分の観念の中には彼女らについて行けば、残り10分程度で黒部五郎岳につけるということしかありませんでした。彼女らの歩くスピードが早くて、なかなか追いつくことはできませんでしたが、彼女らが目の前にちらっと見えるぐらいに私もアクセル全開でついて行きました。長い10分だとは思いましたが、山の表示はあと○○○㍍と言っても実際はものすごい時間がかかることは経験則上あったので、ひたすらついて行きました。しかし、岩場が増え、雪渓も多くなり、1時間以上も歩いたので、さすがにしんがりの女性に聞きました。「黒部五郎岳はまだですか。」そしたら彼女は、「とっくに通過したわよ。私たちが行くのは黒部五郎小屋よ。」そうだったのか、黒部五郎岳ではなく、黒部五郎小屋だったのか。「後悔先に立たず」でした。頭に描いたのは約2時間のロス、明るいうちに山小屋に着けるだろうかだけでした。

とにかく必死で引き返しました。そしたら、黒部五郎岳は、別れの表示板通り10分の所にありました。ただ少し山頂が奥まっているので、急いでいたので見落としただけでした。

そこからは、時間との戦い、宿に出した下山予定の16時はあっという間に過ぎ、休憩もせず、水分補給だけで前を向いて歩くだけでした。山小屋が見えて、胸をなで下ろしました。到着は約3時間遅れの19時前、すでに妻の携帯には16時に帰ることになっているのにまだ帰られませんと、富山県山岳救助隊から連絡がありました。山小屋に帰って、一斉に山小屋のスタッフ全員から私が無事に帰ってきたことへの安堵感だろうと思いますが、一斉に拍手がありました。しかし、妻にはめちゃくちゃ怒られました。山岳救助隊の隊員からも事情聴取がありましたが、今回の遅れは「遭難ではありません。ただ、もう少し安全に対する努力をして下さいね。それから、こんなことがあっても山を嫌いにならないで下さいよ。捜索は、スタンバイはしていたけど、日が落ちてからするようにと言う指示を出していないですし、誰も動いていませんので気にされないように。」との話がありました。

山小屋への帰りが遅くなったので、初めてスタッフの人や山岳救助隊の人と晩ご飯を食べることになりました。かなり落ち込んでいる私に気を遣ってか、山の話は一切なしでたわいのない話をしていました。

昨日の3人組の人も明日からも天気が悪いので予定を変更して、明日下山をするということになり、再びご一緒されることになりました。私は、亀谷温泉で下り、お風呂と食事を済ませ、次のバスまでの1時間20分をゆっくりと過ごし、3日間とも雨模様の山行の反省をしました。あとは、電車に乗り換え空港に早めに行き、空港内にあるラウンジで体を休め最終の便で山口宇部空港に到着しました。

特に今年の2座はしんどかったです。他にも100名山に伴うエピソードはたくさんありましたが、かなりの山をご一緒させていただいた業界の4人の仲間や個人的なつながりのある仲間、地元の山岳連盟の方々、山でご一緒して手助けをしていただいた名も知れぬ方、そしてクラブツーリズムなどの旅行社などの協力がなければこの100名山の達成は到底困難でした。また、職場のスタッフにも迷惑をかけたと思います。もちろん最愛の妻にも。そうした多くの人に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

読図やコンパスの使い方、遭難したときの行動、レスキューの仕方など基本的なことがあまりマスターできていないのに、何とか100名山を達成できたのも、明確な目標を定め、1座1座、いろんな人の力を借り、あるいは自らの力で、と言っても準備不足や途迷いも1回や2回ではありませんが、何とか「継続」し続けたことにあります。

最後に言いたいことは、登山にしても他のなにかをやるにしても「継続は力なり」と言うことを言葉だけでなく、実践することがいかに大事かと言うことです。20代までの私にはそうしたものがまったく備わっていませんでしたが、30歳を期して未成年から吸っていたたばこを止めることから始まり、税理士試験でも「継続する力」をもらったような気がします。私には才能というものはありませんが、唯一あるとすれば「継続する力」だろうと思っている今日この頃です。

 

最終目標は開脚ができるようになること

私は幼い頃から体が硬く、学校の体力測定がイヤでたまりませんでした。結婚したとき、その余りにも固い体に妻もびっくり!何と前屈(正式には立位体前屈というそうです)がプラス10センチ以上で、「床ピタ」の妻曰く「鋼のような体だね」と揶揄されました。

日本では1999年(平成11年)から「新体力テスト」が実施されており、そこでは立位体前屈ではなく長座体前屈が採用されていますが、これは最近の子どもの体が余りにも硬く、ケガをする可能性があるからだそうです。

税理士試験合格後、少しでも体を柔らかくしたいと思い、「アサヒ」というメーカーが出しているストレッチボード「のってる快」という器具を使って毎日、毎日「のってる快」に乗っていました。わずか1分30秒で良いと書いてありましたが、角度が自由に変えられるのにも関わらず、一番傾斜の低い確度でも、足首、ふくらはぎから、太ももに震えがきて、私にとって「魔の1分30秒」でした。

税理士試験でおそらく身についたのだろうと思いますが「継続する力」は、自分で言うのもおこがましいのですが、かなりのものです。その、苦痛を日々こらえながら、何とか最高傾斜角の30度でもこなせるようになりました。そうすると、前屈は、プラスからマイナス、つまり床に自分の手先が付くようになりました。ただ、それ以上にはなりませんでした。

もうこの位で良いのかな?と諦めかけたとき、東京への出張がありました。たまたま、飛行機の中で見ていた通信販売のカタログに「フレックスクッション」という製品を見つけました。開発者は、サンテプラスの坂田(立教大学相撲部のコーチ)さんという人で、相撲の「脵割り」をヒントに開発されたものです。

背面高20㎝、全面高10㎝、座面が20度傾いており、自分の体重を利用して、座るだけで骨盤がニュートラル状態になります。私の「これ以上曲がらない」の原因は股関節にあったことを知り、朝起きてからと、風呂上がりには必ずこの器具でエクササイズをします。すると、「不思議、不思議」今では、妻と同じくらいに「床ピタ」になりました。

しかし、人間は欲深いものです。今度は、本当にお相撲さんがしているような「開脚」ができるようになりたいという衝動に駆られました。それは、「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」というEikoさんという人が書いた本のタイトルに惹かれたからでした。サブタイトルとして、4週間でできる最強プログラムとあります。

原理は簡単です。①タオルストレッチ、②しこストレッチを毎日しながら、1週間目に内ももストレッチ、2週間目に壁ストレッチ、3週間目に椅子ストレッチ、そして最後の4週間目にドアストレッチをするのです。しかし、実際はそうは簡単にはいきません。なぜなら、元々「鋼のような硬い体だからです。2週間目の壁ストレッチで「壁」にぶち当たりました。おやじギャグです。(オー寒!)

そこで、今度は、「一人で出来る開脚マシン」を購入しました。これだと、自分の手の力で、かなり無理やりに「開脚」の助けになるのです。このバナー(ウェブ上の広告)を見てすぐに、購入しました。お陰様で、何とかあと3ヶ月(年内)には開脚ができるように思えてきました。あとは、「継続は力なり」です。

因みに、体が硬い人は

①肩こりや腰痛などを起こしやすい。

②なんでもないところで転びやすくなる。

③猫背になるなど姿勢が悪くなる。

④動くと凄く疲れやすい。

⑤筋肉の収縮が少なくなり血流が悪くなる。

などの弊害があるそうです。

何とか目標に向かって、「開脚」ができるようになり、それが長続きできるようにやってみます。ただし、「頑張りすぎずに、頑張る」の精神で!

平和を身近から考える

8月9日は私の誕生日ですが、同時に長崎原爆記念日でもあります。前回のブログに掲載いたしましたが、還暦の誕生日に日本100名山の最後の一座である蔵王山を家族で達成するという記念日を、台風5号の影響で断念しました。 ということからこの日は、長女が住んでいる娘婿の会社の社宅で、甲子園の熱戦を観ていました。

画面が長崎の平和記念式典に切り替わり、田上長崎市長が平和宣言をしていました。 長女曰く、田上長崎市長は毎年素晴らしいスピーチをするというので真剣に聞いていました。朝日新聞デジタル版は、『長崎市長、平和宣言で政府批判「姿勢理解できない」』、『日本政府に対しては、唯一の被爆国として核保有国と非保有国の「橋渡し役を果たす」としながら、核兵器禁止条約交渉に参加すらしなかった姿勢を厳しく批判。「条約への一日も早い参加」を求めた。憲法の平和の理念と非核三原則の「厳守と世界への発信」も政府に求めた。』とし、一方、『安倍晋三首相は、一般論は述べるものの、具体策には言及しなかった。』と報道していました。

そして、原爆投下時間の11時2分になったら、長女の呼びかけに合わせて、娘婿、もうすぐ4歳の長男、そして7月10日に誕生した二男を抱いて黙祷したのです。もちろん、私たち夫婦もそれに合わせて黙祷しました。 後で長女から聞くと、広島の平和式典でも、終戦記念日でも一家で平和を祈り黙祷しているとのこと。かなりの驚きと良い妻、母になったものだとその成長ぶりに父親としての喜びを感じざるを得ませんでした。

私は、家族に何故長崎に原爆が投下されたかの逸話を話しました。広島型のウラン爆弾より性能が高いプルトニウム爆弾の比較検証がしたかったこと、当初は小倉に投下する予定だったのが、天候不順で見通しが悪く、しかしどこかに落とさないと帰りのB52の燃料が足りないという理由で長崎への投下が決まったこと、皮肉にもクリスチャンが多い長崎市の郊外の浦上地区だったという話をしたら驚いていました。

この3日間、安倍晋三首相はどんな思いで色んなスピーチを聴いていたのでしょうか?果たして不戦の誓いをしていたのでしょうか?それとも憲法9条三項の政治日程と戦略へ思いを巡らしていたのでしょうか?少なくとも不戦の誓いはしていないと私は感じます。それは、靖国神社に玉串を奉納したからです。

安倍晋三首相は、首相が尊敬しているA級戦犯でもある岸信介元首相ができなかった野望を実現すべく、ひたすら前を向いて突き進みたいのだろうと思います。

頑張って予定コースを歩ききった二女!

8月11日から3泊4日で、北アルプスでは、表銀座縦走コースと言われているところに縦走をしました。 因みに、「表銀座縦走コース(おもてぎんざじゅうそうコース)とは、北アルプス山麓の中房温泉を起点とし、合戦尾根を登り、常念山脈を大天井岳まで縦走し、東鎌尾根の喜作新道を経て槍ヶ岳へ至る登山コースの名称である(Wikipediaより)」と言われています。

今回は、日程の都合と二女が北アルプス初挑戦と言うことを考慮して、大天井岳から常念岳に迂回し一ノ沢まで降りるルートにしました。

初日は、中房温泉までの移動日でした。中房温泉は、秘湯を守る会に登録をされていて、首都圏在住の人がスタンプラリーで楽しんでおられます。山口の近くでは、熊本県の黒川温泉が登録されていますが、その多くが、東北や信州方面で、首都圏以外の人がスタンプラリーに参加するのは、なかなか困難です。 中房温泉は、松本から出ている大糸線の穂高から1日5便のバスしかありませんが、マイカーの利用者がかなりあります。 さすが秘湯だけあって、その風呂場の多さと源泉掛け流しです。私は、5ヶ所の風呂場に浸かりました。本館には、登山客、新しい別館には湯治客というふうに別れていて、食事内容も料金もそれぞれ違います。 朝6時半からの食事には、夕飯を共にした登山客の2/3は、食事を弁当にしたのか、自分で持参したのか、人もほとんどいなくて寂しく感じました。

私たちは、 燕岳(つばくろだけ、日本200名山、2763㍍)に昇るため、午前7時半に登山口を出発しましたが、いきなりの急坂で10分もしないうちに、我慢強い二女も限界だったのでしょうか、場所をはばからず、もう登れないと涙を流して私に訴えてきました。その後、二女の荷物のほとんどを私が持つとそれまで泣いていた二女は生き返った魚のごとく快調に歩き始めました。反対に、最近余り重いザックを持ったことのなかった私は、二女には言えませんでしたが、息も絶え絶えでした。おまけに雨にも降られてカッパを着るのに余計に時間がかかりました。

燕岳の頂上稜線にある山小屋の燕山壮(えんざんそう)に泊まるという団体さんや中房温泉で同室になった私と同じ世代の京都から来たというご夫婦にも随分と励まされ、何とか日本200名山の燕岳の頂上を極めました。この頃になると二女の歩きも軽快になっていました。

3時間少しかかってしまいましたが、ほとんど休憩もとらずゆっくりですが、歩を進めました。途中で梯子や少し歩きにくいところもスムーズに歩けましたが、この日に泊まる大天壮(だいてんそう)までの400㍍は岩場でかつ、急坂で喘ぎながらやっとの思いで、山小屋に着きました。

二女にとっては初めての山小屋体験でしたが、夕飯が、魚料理と肉料理を選択できて、余り得意ではない肉料理を回避できたので喜んでいました。大天壮は、宿泊客が少なく四人の布団を二人で使えたので大満足でした。 翌朝の食事は、4時15分からと5時15分の2回に分けるような仕組みだということで、今後の行程を考えて早い方を選択しました。早朝は天気に恵まれ、雲海の上に日が昇る情景に二女もご満悦、さらに槍ヶ岳も綺麗に見えました。

食事終了後直ぐに、大天井岳(おてんしょうだけ、日本200名山、2922㍍)に往復15分で、山頂まで行って来ました。 5時50分に山小屋を出発、3時間10分かかり9時に常念小屋に着きました。二女もここまでは順調でした。 ところが、足元が岩場でしかも急坂の常念岳(じょうねんだけ、日本100名山、2857㍍)の往復で、脚にきたようです。

昼食を済ませ、下山口の一ノ沢まで2時間の予定が、3時間15分かかりました。後からの登山客にドンドン抜かされましたが、休憩もせずに、二女のペースでゆっくり着実に下山したため、怪我もせず無事到着しました。 運が良いのか、日頃は予約をしていないと携帯電話が通じない所だったのですが、たまたま予約なしのタクシーが停まっていました。運転手さんいわく、こんなラッキーは10回に1回位だそうです。松本行きの大糸線にもギリギリ乗れました。慌てていたので、キップの取り忘れのトラブルもありましたが、何とか松本にたどり着きました。 翌日になったら、二女は昨日のしんどさも忘れ、山は素晴らしいと、何度も言い出しました。ただし、重たいザックを背負わないならの条件付きですが⁉

台風には勝てませんでした‼

8月9日、初めての還暦(笑)を迎えました‼

と同時に悲願の日本100名山の達成をするはずでしたが、のろまの台風5号に3年前からの計画を無残にも粉砕されてしまいました。

所詮、人間たるもの、自然現象に勝てるはずもありません‼

日本100名山の最後の山は、ロープウェーを使えば、50分で登れる山形県の蔵王山でした。

妻、就職先がドイツで今日のために無理をして帰国してくれた次女、義理の息子、あと3ヶ月で4歳になる初孫の総勢6人で山頂でのランチを計画して、長女は、2人目の子どもを7月10日に出産したばかりで居残りという計画でした。

リーチを掛けた99座目の黒部五郎岳は2泊3日で山頂を極めましたが、3日とも雨で試練の山行でした。

また、海の日の三連休を利用した98座目の北海道トムラウシ山は、付近が猛暑日の暑さに加え、朝3時起きで、前日も仕事の関係で睡眠不足もあって、下山1時間位前に左側の太ももがつってしまって、往生しました。結局、12時間を費やしてしまいました。同行してくれた山仲間にかなりの迷惑をかけてしまいました。

今年になってのこの2座は、山を楽しむというよりは、さながら修行僧の心境でした。

 

そしていよいよ100名山達成という時に、3年前から温めていた計画が後回しになってしまいました‼

蔵王山は、二人目の孫のお宮参りの時に順延です。おそらく、9月中に達成できると思います。その時は、妻と二人でささやかに御祝いをすることになると思います。

100名山達成後の次なる登山の目標はありませんが、天候に恵まれず、ただ山頂にだけ昇った山や白馬岳の大雪渓やロープウェー等でショートカットした山に改めて登りたいと思います。

私と次女は、8月10日から2泊で北アルプスの初心者コースと言われている表銀座に登ります。次女は山小屋に泊まるのは初心者なので、楽しみと不安が交錯しているようです。

今月の15日で三十路になるので、彼女が将来ドイツで結婚して骨を埋めるのか、日本に帰って来るのかもゆっくり話してみるつもりです‼

 

ブログ第一弾は、山登りの話しをしましたが、次回からは、私の税務調査の過去の事例や経営環境の変化、経営者が知っておきたい経営指標等々順次お伝えします。