私は、還暦を迎えるまでに「日本100名山」を達成する目標を立てました。昨年の還暦までには達成できませんでしたが、最後の1座目(山形県蔵王山)を台風の影響で3回目のチャレンジで昨年10月14日に見事に目標を達成しました。
還暦が過ぎたら趣味をもう少し多彩にするためと、悔いを残していたことに再挑戦すること、それが剣道三段の取得でした。
その悔いというのは、当時、高校で一緒に入部していた剣道部の同級生が高校三年生の時に三段を取得し、私だけが三段を取得できなかったことです。
実は私は、高校二年生のときの学業の成績が余りにも悪いので、剣道部の顧問の先生(定年退職前でしたが、八段というもの凄い腕前で練習でもまったく歯が立ちませんでした。)が、私のことを「忖度」してか、三年に進級する直前に私をわざわざ教員室に呼んで「剣道部の推薦枠で大学に入れてやるから進路のことは心配するな。」と話をしてくれました。その指定校をみせてもらうと、剣道の強豪校で、仮にそこに進学するとおそらく、練習にもついていけないし、退部することもできないし、仮に無事卒業できても就職先も限られてしまうと直感的に「これはまずい。」と思いました。
なぜまずいと思ったのか、それは私が、剣道部の中でピカイチ強いわけでもなく、団体戦(先方、次鋒、中堅、副将、大将の5人で構成されます。)の選抜に入るか入らないのかのいわば「準レギュラー」だったからです。
そこで考えたのは、顧問の先生に、「必死で勉強してそれなり?の大学に入るので退部させてください。」とお願いすることでした。
先生に、私の思いを聞いてくれるよう懇願し、なんとか退部を許していただきました。しかし本当の理由は、私には剣道部の才能はないばかりか、練習もかなりしんどく、いつかの時点で退部したいとずっと考えていたのです。
退部後、遅れていた進学の勉強は適当にやっていました。ところが、私が退部する許可をもらった際に先生が「その代わり、必死で勉強して希望する大学に入れよ。それが条件だ。」と言っていたとおり、私の学内の模擬試験をずっとチェックしていたのです。それを知ってから私は心を入れ替え「必死」で猛勉強しました。
その甲斐あって、他の部員が三段を取り夏休みをもって退部した時点では、二年生の模擬試験ではビリから2番だった成績が、みんなもびっくりする前から2番になっていました。その当時の母校は、模擬試験の成績を掲示板に貼りだしていました。しかしそれで安心をしたのか、その後は「再び元の勉強しない生来の怠惰な自分」になっていました。
最終的には、母校では「そこそこ」と言われる大学には合格はしましたが、その大学が東京の「とある大学」だったので、私の日頃の素行を一番知っている両親は「某地方大学」の入学しか認めてくれませんでした。
現在、祝祭日ではない月曜日の夜7時半から少年剣士といっしょに、準備運動、竹刀の素振り約500回、タイヤを使った練習などを30分強ほど行っていますが、そこでほぼ体が動かなくなります。気合いを入れ直し、水分を補給したのち面を付けます。
大人の剣士(参加者は余り多くなく皆さん五段以上と聞きました。)は、その後に登場し、面打ちや切り返しなどをしますが、夜9時前にはぶっ倒れそうになり、途中で稽古をやめてしまう始末です。持参するスポーツドリンクが一本ではとても足りません。
指導者に聞くと、すべての時間練習をこなせる体力と気力ができれば「三段」も近いとのことです。ほとんど毎朝300回の素振りをしてから出勤していますが、まだまだその日は近くないと感じています。還暦から43年ぶりに再会した剣道ですが、意地でも「三段」に挑戦をする覚悟でいます。